李強,高【旧字】坂健次・李為訳,2004,『中国の社会階層と貧富の格差』ハーベスト社.(=李強,2000,『社会分層与貧富差別』鷺江出版社.)
週末ぐうたらしたら、だいぶ復活した。ふう。
某学会誌(の請負い先の某出版社)からゲラが来たんだけど、金曜日に郵送されてきたものを「月曜までに返送してくれ」というのはちょっとムリなんじゃないでしょうか。何か手違いでもあったんでしょうか。まあいいんですけど。
ところで、私は中国の「体系的な専門家」とはとても言えない人間ですが、こちらの本は、中国のそこかしこで見聞したことの「点が線になる」ような感覚を味わえる、素晴らしい出来となっております。
これも情報量が多いのであんまり要約などできないんだが、私の興味あったのはたとえばこんな所。ちなみに「単位」というのは、職場であり生活共同体でもあるような、中国社会主義独特の制度。
「中国が改革以前に実行していたのは、いわゆる「鉄飯碗」制度で、個人はいったん何がしかの単位に就職した後は、一般には解雇されることはない。さらにまた単位間を移動することもきわめて少なかった。したがって、個人が生涯に亘って一つの単位に就業する現象は、比較的一般的である。このように、単位は個人の終身活動の最も重要な場所となり、両者と関係は非常に密接である。さらに、中国都市就業者の住宅のほとんどは単位によって提供されており、単位の住居はまた地理的にみて相対的に集中している。このように、単位成員もまたさらに容易に緊密な集団を形成することになる。最後に、単位はその働き手に賃金を与えるだけではない。同時に医療、健康等の保険とサービスを、また比較的大きな組織のなかには食堂サービス、商業サービス、子女教育等をも提供している。このように、個人の社会的地位の如何さえも、つねに彼らが所属している単位の地位と関係している」(18)
中国の市場経済化というのは、こうした「単位制度」に漏れが生じる過程でもあった。
その際には以下のような特色があった。
「1980年代のいくつかの調査によれば、当時にあっては、これ【都市における自営私営工商層】を構成する集団の多くは、退職者、都市の有閑者、待業中の青年、都市に入った農民等であった。甚だしいばあいには、一部の人は刑事犯罪で釈放された後、適当な仕事が見つからず工商業に従事した者もいた。したがって、この階層は最初から素質の低い集団として構成されたのである。当時、都市のなかの社会身分と素質地位は【ママ】比較的高い集団は主に国営企業・事業単位と政府機関で働いていたため、これらの単位では一般にみな安定した賃金収入、労働保全複利、公費医療、および住居、退職金等に恵まれていたため、当時では、このような単位を離脱して自営私営工商者に変身した人びとの割合は低かったのである」(24)。
そんな背景のもと、市場経済化が始まったばかりの80年代には、肉体労働者の方が知能労働者よりも高い賃金をもらうという、一種の逆転現象が広く生じていた(90年代には再逆転して知能労働者の方が高くなる)。それはなぜか。
「社会的地位の比較的低い集団が最も先に市場経済に入ったのに対し、社会地位が高い集団が市場経済に参入する速度はあきらかにそれより遅い。なぜかと言うと、第一に制度が変遷するなかで社会的地位が比較的高い集団(社会中心集団と呼ぶことができる)は通常、元の体制において多くの利益を享受している。もしも元の体制から離脱し、新しい体制に入れば元の体制で受けていた多くの利益を失うことになる。この種の利益の損得にばかりこだわる気持ちが、彼らが早い段階において市場経済に参入することをおしとどめたのである。一方、比較的社会的地位が低い集団(社会周辺集団と呼ぶことができる)は元の体制ではそもそも低い利益しか享受できていない。このため、制度的変遷が生じたとき、彼らは容易に元の体制を離脱し、新しい体制に入り、しかも迅速に新体制によってもたらされる利益を享受するとができるのである。しかしながら、制度の変遷が一定程度に達し、新たな体制によってもたらされる利益が明確になり、古い体制がますます維持しにくくなったとき、はじめて過去の社会中心集団は次第に新しい体制に入(67)ってくる」(68)
私の感覚だと、「単位」というのをどうしても「会社主義」とのアナロジーで捉えることになり、「現在」というのは「その崩壊過程」という問題系で考えることになる。その崩壊過程にはずいぶん違いがあったようだ。それは一言で言うと「日本の方がよっぽど堅固で成功した社会主義だった、中国はそれに比べて後進であり安定性も蓄積も絶対的に欠いていた」ということになるんでしょうが……むしろ前者が「桎梏」になってしまうような局面を、我々は嫌と言うほど毎日毎日見せつけられている訳で……。
その一端がこんな事情になるのかと。
ミルズは、新→旧中間層の移行を被雇用者の増大としたが、中国では正反対。独立経営者などが新中間層であり、またその過程はアメリカよりはるかに早いスピードで起こった(81)
新世代では、学歴と収入の相関が大きく、また40歳前後で収入のピークに達する(85)
「これは主に市場競争による結果である。近年、高収入領域は三資企業、新興企業、たとえば、金融、証券、情報、ハイテクなどの領域に集中している。これらの業界はそれ自体、社会のなかで上昇地位にあり、いったん入ると市場の最頂点を占めることになる。若い人が学歴と新しい専門知識を有し、外国語を理解し、そのうえパソコンができるとなると競争力の職業に比較的就きやすい。一方、年齢の高い人はまずその年齢とすでに習得した技術や、知識の関係から新しい専門領域への適応は非常に困難である。年齢の高い人の属する国有企業と伝統的製造業はさまざまな原因で衰退期に入り、単位の地位が下降す(85)ればさらに中高年の社会的地位の下降を速める」(86)
という訳で、市場経済化で不利になったのは、むしろ国有企業で「福祉づけ」になっていた中高年層であり、都市部の教育のある若年層はその恩恵を受ける側であると。
しかしながら、著者によれば、こうして形成されつつある新中間層というのはいまだ大都市のみに限られた脆弱な社会集団であり、他の先進国に見られるように、近い将来は失業問題が若年層へ接近していくことが予想される。それは最大の社会不安定要因になるから、今のうちから対策を……と話が続いていく。
私が見るに、要するに中国は、一種の「後発性利益」(ガーシェンクロン)で、「一足飛びにアメリカになった」ということなんじゃないでしょうかね。しかしながら当の中国の若年層の多くは、その「ねじれを含みつつ進行するアメリカ化」に適応できているようにはまったく見えない。日本の我々はバカみたいに古い問題系といまだに対処し続けざるを得ない不幸を抱えているが、あちらはあちらでマジ大変なようです。はい。
| 固定リンク
