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2005年11月18日 (金)

がっかりですね

コメントがまったくつかないことで内輪では有名な(うそ)このブログ。
本日はただのグチ。某御大に「今○○を書いている」と言ったら、即答で「それは正規雇用されてからでいいんじゃないか」と言われた。

その「正規雇用」って何でしょうね。今の日本ではその観念がまだ厳然と残っている。だけれどもそんなのは世界中でたぶん日本だけ。積極的な行動で有名になった人が、高い年棒をもらうのが今の世界の常識であり、卵たちはそれを目指すのが普通である。これは「私の周囲の世界」に限ったことではまったくない。韓国だって中国だって、もうそうなんだけど。

今の日本では、「福祉」の享受という以外に、生き延びる術がないんだろうか。正確に言うと、かなりの程度「人為的に」そういう環境が作られている。それによって得をする人は、世代も糞も関係なく「ただの一人もいやしない」。みんなをゆっくり沈めていくだけだ。だけどそういう構図が厳然と残っている。誰もそれについて何も言わない。不思議で仕方がない。

自浄作用のない組織は、外から改革されるしかない。しかしそういう改革者は内部の論理に何も頓着しないので、「いきなりすべてあぼーん」方式になる。それよりは、痛みを伴うにしても、内部の論理で改革をした方がいいに決まっている。だけど誰も動かない。だったら、いずれ改革者がやってきて、すべてをぶっ壊すだろう。これは、韓国社会が総体として経験したことでもある。
私はそれによって得をする立場にない。しかし「ゆっくり沈んでいく」よりは、「少なくともあいつらだけが生き残るということのない」「いきなりあぼーん方式」の方がまだマシだ。こういう感情も「私の周囲の世界」に限ったことではまったくない。

外資がどうのとか、ファンドがどうのとか、都市型保守がどうのとか、ゴミみたいな御託を並べてる連中は、何一つこういう現代の心象風景をすくい上げられていない。
そういう心象は、多くの人々にとって「もう日本はダメだ」という言葉でしか表現ができない。それは語彙の欠如とかいう問題じゃなくて、そういう人々の直感の方がゴミ御託よりもよっぽど正当なのである。
なのに「新しい保守に回収されない日本語を開発せねばならない」とか言ってる、高村薫みたいなゴミ(私と直接関係ない人は実名:笑)とか、「ネオリベラリズムが席巻している」とかいうIHみたいなゴミとか、「まったりした日常を救済せねばならない」とか言ってるゴミとか、そういうのばかりがメディアに登場する。私を含め、人々の絶望は深まるばかりと言う他ない。どうにかならないんですかね、本当に。
だからこそ、おいお前ら、おれたちの出番なんだよ!

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