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2005年12月28日 (水)

続ノーブレイン

更新滞りがちですね。すみません。要するに「締め切りが結構大変」で……。ちゃんと書ければ面白いはずなんだよなあ。絶対。前のめりに突っ走るしかない三十路間近の冬。

ところで、こないだのノーブレインのニューアルバムがやっと届いた。なんかすごい忙しいみたいだし、テレビとかにもよく出てるみたいだし、結構好調みたい。韓国ではそこそこ売れてるんです。はい。
今回は4枚目のアルバムで「Boys, Be Ambitious」というタイトルになっている。前作「Stand Up Again」(3.5集)の路線の延長上ですね。でも完全にオフスプリング+アンドリューWKみたいだった前作より「パンクっぽい」。

正直、良い曲は3.5集の方が多い。でもアルバムとしてのまとまりは今回の方が良いな。前作はシングル集みたいな感じだったし。前作の「ノン・ネゲ・パネッソ」(お前はおれに惚れた)はプロモビデオがテレビでガンガンかかってたけど、今回の「ミッチン・ドゥン・ノルジャ」(狂ったように遊ぼう)も結構ウケるんじゃないかなあ。

Boys Be Ambitious
http://store.yahoo.co.jp/image-net/cd1004084816.html
Stand Up Again
http://www.rakuten.co.jp/sakura-san/644295/644479/652855/688127/
No Brainオフィシャルサイト
http://www.nobrainpunk.com

引き続きどうでもいい話をすると、ノーブレイン(あと韓国パンクいろいろ)を日本で初めて活字にしたのは私です。「DOLL」っていうパンク雑誌でした。当時「日本で紹介される」可能性は今よりもすごく少なかったから、みんな喜んでくれたなあ。
あと、当時は日本のパンクって韓国でほとんど手に入らなかった。メジャーものはいろいろ入ってきていたけど、少しでもマニアックなものは情報すらなかった。
そんで若きソンウは、私に「日本のパンクをテープ(時代ですねえ)に入れて送ってくれ」と頼んだ。私は、120分テープ3~4本に渡ってお気に入りの曲をガシガシ入れ、英語の長い解説文をつけて送った。「ハイスタ」とか「ガーゼ」とか「ヌンチャク」(笑)とか、そういうのが韓国に伝わった初めての瞬間(たぶん)。
その後すぐソンウたちは、ガーゼを皮切りに、いろいろなパンクバンドを韓国に招聘した。日本でもCD出したし、フジロックも出たし、日本語もうまくなった。おれはその間こっちでショボショボしてましたが、まあこれからですよ。うんうん。

私はその後音楽関係からどんどん離れていったけど、今でも「仲間」として遇してくれるのには、そんな経緯があったりなかったり。なぜこんなこと書いているかというと、前回のエントリを見た知人に「やっぱお前は人から与えられることしか考えてないなあ」みたいなことを言われたから(笑)。シンクロニシティ時の旅。
……さー原稿書きましょ。原稿。

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2005年12月18日 (日)

ノーブレイン

ちょっとノーブレインについて書かないといけない案件がある。その文章を見た人&自分を主な対象に、注釈というか、覚書みたいのを書いておく。

ノーブレインは、こっちで言う「青春パンク」みたいな位置づけにあって、そんなにバカ売れしてる訳じゃないけど、若い人なら大体とりあえず名前を知ってるぐらいに有名な、韓国のロックバンドである。
あちらではパンクの第一世代に当たっていて、要するに「韓国のブルーハーツ」であると言えばそんなに間違いはないと思う。
そのボーカルはイ・ソンウと言って、私の唯一無二の親友であり、義兄弟の仲である(向こうはそうでもなかったりして笑)。ノーブレインは青春を歌うバンドであるが、ノーブレインはすなわち私の青春でもある。

彼との出会いは98年に遡る。当時のソウルは「インディーズ・ブーム」(こっちで言う昔のバンドブームみたいなもの)に沸いていて、ノーブレインのソンウはその中心人物の一人だった。
当時の彼はまだ、突如として自分が置かれることになった立場に慣れておらず、まだ弱々しい雰囲気を持っていた。しかしその後数年経つ中で、彼は自分の立場を引き受けることを学び、堂々したロック・スターの風格を漂わせるようになっていった。

そして2002年か3年かそこら。当時私は、仕事も私生活も、すべてがうまくいっておらず(まあ今でもそんなにうまくいってないけど)、誰の目にもあからさまな欝状態にあった。
どうして良いか分からなかった私は、現実逃避として何度目かのソウル行きを決めた。以前から、ソウルでの宿は彼の家(というか彼の義弟分チョン・ミンジュンとの共同部屋)だったので、ほぼチケット代しかかからなかった。

彼は仕事の合間を縫って、私を飲みに連れて行ったり、クラブに連れて行ったりしてくれたが、私はあんまり楽しめないでいた。ハタ目にも分かるみたいで、「顔色が冴えないね」とよく言われたりした。
そんなある深夜、彼は「歌を作るから一緒に来い」と言って、アコースティック・ギターを持って近所の公園に私を連れ出した。彼は自分の作った歌を歌い、「どうだ」と聞いた。私は「いいね」とか何とか、あいまいな返事をした。
すると彼はギターを置いて言った。

「モト君、おれはお前よりも少しだけ世の中のことを知っているつもりだ。そのおれが見るに、お前はいつか必ず、みんなに恐がられるような存在になるよ。おれには分るんだ。
なのにお前は何だ。いつも怯えてばかりいる。誰かに『やられる』ことばっかり考えてる。そうじゃないだろう。お前がみんなを『やっちまう』んだよ。お前はそのための方法だけ、考えていればいいんだ。落ち込んでるヒマがどこにあるっていうんだ」

まったく恥ずかしい話だが、これを聞いた私は、肩を震わせて泣いた。その肩を彼は抱いてくれた。そして「モト君、人生は一度だけなんだよ」と言った。
これまであまり人に話したことはないけれども、私の中ではこの瞬間が一つの「転機」だったのかもなあ、と振り返って思う。

もちろんこれは、たぶん誰でも2つや3つは持っている、小さな「転機」のエピソードに過ぎない。私にとってそういう「転機」のいくつかは、ソウルのホンデという街でもたらされた。私は、韓国に住んだこともないし専門家でもないけど、「私の存在の何割かはソウルで社会化されたものである」と自信を持って言える。

そして私が、東アジア、とりわけ日韓関係について何か考える時には、「彼と私をつないできたものとは何か」という関心がいつもベースになっている。それは「親日とか反日とか」いうのとはまったく関係ないし、日韓文化交流でもないし、単純に音楽の好みとも思えない。かといって「ココロの友情」とかいうのに還元してしまうのは、もったいない。

いろいろ文脈化してみることはできる。一例を挙げれば、97年以後数年のこの間、韓国では現在の日本の「小泉改革」に比すべき、しかしもっとあからさまな形で「金大中改革」の嵐が吹き荒れていた。中以上の階層の出身者の多いサブカルチャーの世界だけを見ても、それは明らかだった。
たとえばイ・ソンウのお父さんは、慶尚南道のマサン(馬山)で、中規模の会社の社長さんだった。しかし「改革」の中で会社は潰れてしまい、お父さんはタクシー運転手になった。
彼の義弟分のチョン・ミンジュン(いろいろ紆余曲折あって、ノーブレインの現ギタリストでもある)の場合は、もっとはっきりしている。彼のお父さんは、大手銀行の支店長だった。しかし銀行の統廃合の中でリストラされ、一家はそれなりに蓄積していた資産を使い、アメリカで心機一転テリヤキ・ショップを開店する道を選んだ。
しかし若きミンジュンは移住を嫌がった。ご両親はそれを理解し、資産の中から彼にワンルーム・マンションの頭金を残し、アメリカへ去った。その後ミンジュンは、独りアパートの中で、ソンウと出会うまで長い憂鬱に沈んでいくことになる。
サブカルチャーのシーンに、行き場のない大学生が大量に流入してきたり、かつては「どこかに卒業」していったであろう年長層がどんどん溜まっていったりし始めたのも、この時期だった。

こんな話、というかもっと悲惨な話はもちろんいくらでもある。そういう空気の中で、ソンウやミンジュンは、職業ミュージシャンとしての自覚に目覚め、要するに「文化的アントレプレナーシップ」みたいなものの必要性を肌で感じるようになっていった。
当時私は意識していなかったけども、私は自分の「欝」と彼らの姿とを、照らし合わせていたのだと思う。もちろん私は今、美しい側面ばかりを書いている。その裏には激烈な地獄があった。私はそれも知っているつもり。第一ノーブレインだって今はそこそこ食えているけども、いつまで持つかまったく分からない。彼らもそれを知っている。
だけれども、こういう流れを避けることはできないし、避けようとすればむしろ「欝」しか待っていない。そんな感覚を、私はソウルで、ソンウたちを通して身に付けたんだと思う。

もう一つ付け加えれば、ソンウやミンジュンが「自分は両親とずっと仲が悪く、音楽をやることにも反対されていたけども、お互い苦しい時代になって、初めて理解し合えるようになった」とよく言っていたのも思い出す。
そして私は、日本のオヤジが「世代」を語り出す時とか、Jラップが「オヤジはすげえぜ」と言い始める時とかに、「ハアアとため息をつきたくなる」のである。まあ別にいいけど。
他方、自分が(まだペエペエペエですが)たまに教壇に立つようになってよく感じるのは、若い奴らに、「こいつは既得権益にあぐらをかこうとしているのか、それとも個として戦おうとしているのか」、「見られている」ということだ。
「韓国のあの空気」は、すでに日本にも訪れている。まだ局所的かもしれないけれど。それは「良いとか悪いとか」じゃなくて「当然」のことだと思う。たぶん「良い」と言っても「悪い」と言ってもウソになる。で、その次に来るのは何か。それを確かめに、私はまたソウルや北京に足を運ぼうと思うのである。

昨今の違法建築の問題とかもそうだけど、「日本の今の問題」はすでに「中韓で10年くらい前に起きたこと」とまずアタリをつけて良いくらい、昔の「段階論」というのは逆倒しになっている。それはなぜか。みたいなことをもう一つの案件に書こうと思っているけど……ふううう

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2005年12月14日 (水)

経団連、14年ぶりにベア容認

「もしかしてポシャッたかなあ」などと思ってぼんやりしていた某案件が「バリバリ稼動中」であることが、昨日明らかになった。しかももう一個重要案件がある。大丈夫なのかなあおれ。まあ年末だからなあ。うんうん。よくわかんないけど。

ところで経団連のベア容認がニュースになっている。90年代半ば以来、経団連は「会社人間から競争力のある個人の育成へ」というビジョンを明確にしていたように思うのだが、どうなんでしょうね。
額面通りに受け取ると、「大企業に会社主義みたいのが残存し、中小企業に流動化が加速していく」ということなんでしょうか。AMもそのシナリオが最有力じゃないかと言っていたなあ。そうかもしれませんね。

政府・財界が「上からどうこうの」できるという、「強制力」のある状態を「開発主義」と呼ぶとする。今現在において「その強制力を経済成長のために行使する」ならば、「上からの個人化」ということにならざるを得ないだろう。それが例えば韓国の「金大中改革」、中国の「改革・開放」であった。旧来の大企業とかの権益が、上からどんどんぶっ壊されていった。これは大きい政府か小さい政府かという問題じゃなくて、「強制力によって政府・公的部門・独占部門が縮小されていった」ということである。
中国の話は前に書いたけど、たとえば韓国のサムスンは、こういう改革を生き延びた旧財閥系である。こっちの大企業のイメージと全然違い、徹底した人件費コスト削減策で知られる。新人研修では、「現代世界では競争に勝ち残らないと生きていけない」という世界観を、洗脳みたいに叩き込まれるそうで、徹底した競争原理が日々の業務を貫いているそうである。

それが良いか悪いかという価値判断をとりあえず横に置けば、そういう動きを「上から」導入していくのが「現代の開発主義」であることは間違いない。
90年代以後の経団連は明らかにそれを目指していたし、今の「小泉改革」というのも、いろいろ論点が錯綜しているけれども基本軸としては「欧米から30年遅れ、中国から20年遅れ、韓国から10年遅れ」で、政治の側からそういう動きが出てきたものだと私は思っている。確かにそれは気持ち悪い世界である。だが「そうする以外」にどういう社会があり得るのか、私にはよく分からない。

というか、これも前から書いていたことだけども、「改革前の時代」というのも、実は一部の人々、特に下層に位置する人々に「改革のリスク」を押し付けることで成立していたものだった。(「社会主義」というのはえてしてそういうものである)
「フリーターとかニートとかがどうのこうの」というのは、とりわけ「年齢」というのが選別の重要基準だった日本で、「国民平等化のつもりが実は若年貧困層を量産していた」という事実が、最近ようやく明らかになった結果に過ぎない。
そんで「下流がどうのこうの」というミクロな話だけをいくらしていても、あまり意味がない。たぶん問題なのは、「流動化の波及をなるべく下層だけに押し留めよう」という集合意志みたいなものじゃないか。

当初それは政府・財界が考えていたことであり、それこそ「開発主義」の名において「擬似的な総中間層化」が進行した。その失敗は、90年代以後明らかになり、政府・財界は方向転換を図っている。
でも経団連が今ベア容認とか言い始めるってことは、日本には「現代の開発主義」があまり機能していないということを意味するんじゃないでしょうか。

そんで旧来の体制と、それを元にした集合意識が、誰にも批判されないし名指しもされないまま、漠然と「民主的」に残存している。その上で進む「小泉改革」は、たぶんまたしても「下層にリスクを押し付ける」形で進行するんじゃないだろうか。変わるのは、「押し付けられる層の幅」が、漸進的に「やや上へ上へ」へとスライドしていくことでしかないと。それがさっきのAMシナリオである。

それはいいことなんだろうか。例えば、私も少し書かせてもらった(まったく別記事ですけど)今月号の「中央公論」の特集は、「ネット・トレーダーの奇妙な投資」についてである。株式のイロハをまったく知らないフリーターや主婦が、「一発逆転の回路」として個人投資に大挙して走っている。彼らは株式をギャンブルとしてしか見ていないし、全体的な上昇局面が終わってしまえばほぼ全員負けるに決まっている。そしてそういう投資家の増大が、現実の株価動向に大きく影響しているんだから恐ろしい話である……というような主旨である。
某氏に送ったメールの繰り返しなのだが、これは正確には、「流動化を押し付けられる層が比較的下層である」ために、「個人投資などにモーティベイトされる層も下層に多く」、その結果として生じている「投資家の質の低さ」が「全体システムとしての株式動向にも悪影響を及ぼしかねないのだ」という風に読み替える必要があると思う(とはいえこういう特集がないと読み替えもできない訳だから、この特集は非常に貴重である)。

要は、「できる限り流動化を下層に押し付けて、上澄みを保護し続けよう」という政策が、「弱者を作り出す」とかいう問題ではまったくなく、「全体システムとして今や不合理」になっている、ということなのではないか。「市場主義は良くない」とか、「弱者のポピュリズムとしての改革」とかいうことは、副次的な問題に過ぎないように思ったり思わなかったり。

そして最も恐ろしいのは、それをどうにかしようという動きが、「生活保守主義としての民主主義」によって押し止められているっぽい所である。まあどうにかしようと思っている人が、「上」にすら存在しているのかという問題もあるけども。そして再び思うのは、日本には「左翼」も「保守主義」もなんにもなくて、どっちしろ「生活保守主義」でしかなく、それしかなかったことがむしろ「生活」の根源を脅かしているということである。

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2005年12月10日 (土)

『中央公論』2006年1月号(12月10日発売)の

「ブログ・ハンティング」というコーナーに、「嫌韓・嫌中を超えて」というお題で書かせて頂きました。

それを見てここに来て下さった方もいらっしゃるかもしれません。ここは基本的に私の思い付きを書いているだけで、多少内輪の連絡帳を兼ねているような場所です。お役に立つものがなくてすみません。

そしてそこに書いたことともちょっとだけ関係する、前回書いたことの続きなんですが……私の中では「社会主義の残存」というのと、昨今のインターネットに顕著な「ナショナリズム」というのとは、完全に連続している。いつもながら全部思いつきの自分用メモなんだけども:

基本的に、今「東アジアのナショナリズムの応酬」と呼ばれているものは、「政治的無力感」=「民主主義の機能不全への不満と諦念」の「なすり付け合い」なのだと思う。
日本については、私は戦前・戦中のことにはあんまり触れたくないんだけども――すぐにオタクくさい微細な歴史トリビアの開陳(笑)争いの中に巻き込まれてしまうから――だけども例えば「靖国参拝」について、「あれは非戦の誓いなのである」という言い方がよくされている。「なのになぜ非難されるのか理解ができない」と。
私が解釈するに、これは「かつての戦争は政府・軍部が勝手にやったものであり、普通の人々は被害者だった」という、それ自体は私も否定しない認識に基づくものである。だから「おじいちゃんを人殺しと呼ぶのは許せない」し、「先の戦争最大のモニュメントとしての靖国は非戦の誓い」なのだ、となる。

そしてこれは、戦後日本の左翼が終始その立脚点としていた「悔恨共同体」という思考回路と、基本的には同一のものである。「悔恨共同体」論は、「先の戦争はファシスト政権が勝手にやったものであるが、人々が彼らのウソにあまりにも簡単にダマされたことこそが問題だ。だから『市民社会』を堅固にしてそういうウソからの防波堤を作らねばならない」という姿勢を根本としている。
今ネットとかでよく見る靖国賛成論は、「普通の人々は<あの政治的決定>に参加しなかった」という議論の前提条件を、こういう古典的な左翼思想とまったく共有している。違うのは、「だからいけなかった」と言うか、「だから責任はない」と言うか、という違いだけである。

「だから責任はない」という場合にしても、やはり「おれの意見が政治に影響力を与えられていない」という「民主主義の機能不全への不満と諦念」が顔を出す。そこで槍玉に上げられるのが、奇妙にも「左翼」であり、その象徴としての「朝日新聞社」である。こういう思考回路は、基本的に国内で「支配的」とされているものへのアンチとしてのみ意味を発揮するのであり、日本の場合はそれが「左翼」な訳だ。
ここで明らかにねじれているのは、戦後日本において「民主主義の機能不全」を最初に指摘したのは「悔恨共同体論」であり、「左翼」であることだ。そして「民主主義の機能不全」の最大の象徴とされてきたのが「ファシズム」であり「先の戦争」だった。
つまりは、「ネット保守派」が「誤った支配的意見」として反発を感じている当のものと、彼らの不満は、完全に連続的なものである。取り扱う話題まで一緒であり、違いは「肯定か否定か」という表層的なものでしかない。
確かに戦後日本で人文社会的知のヘゲモニーを握っていたのは「悔恨共同体・市民社会論」であり、それが「時代遅れである」という感覚は私も共有している。しかし私が違和感を覚えるのは、それに反発する人々の物言いというのは、批判対象と同形式でしかないのであり、単にベクトルを逆向きにしたものでしかないのではないか、ということだ。
きちんと伝わっているか自信がないが、要するに、今一般に「右傾化」と呼ばれているものは、実は「右傾化」ではなくて「日本の左翼っぽさの残りカスがたまたま自国史賛美論になってるだけ」としか思えないのである。

私が思うに、「民主主義の機能不全」がもたらしつつある問題とは、「先の戦争」とも「おじいちゃんが加害者か被害者か」とも、何も関係がない。どう考えても「政治的対立」というのは、普通は経済的再分配の問題をめぐるものであり、人々が「民主政治の機能不全」を感じるとすればそれは「仕事」とか「社会保障」とか、そういうことになるはずだ。私は、そういうことをまったく考えてこなかった日本の左翼というのはゴミだったと思っているけど、今一般に「右傾化」と呼ばれている動きも、まったくそれと同類だと思う。
なのになぜ、いまだに「左右」を分ける主な軸が「先の戦争をめぐる評価」であると、これだけ広く信じられ続けているのか。逆に言えば、なぜそれしか広く話題にならないのか。これこそ「擬似問題」であり、「しっかりした国の意見」がどうとか、「アジアの隣人の声」がどうとか、下らないことを言う前に、自分の「個人的な生活」を考えた方がよっぽど良い。

そして人々が「個人的な生活の自己防衛」と思っているものの大部分は、ちっとも自己防衛になっていない。マクロな視点に置き直せば、自分の首を絞めることが平気で「自己防衛の手段」として広く語られている。
私はこういう事態に、「政治的対立軸」の形成において、「先の戦争とかおじちゃんとかがどうのこうの」という下らない問題が大きく関与し過ぎている、という事情が一枚噛んでいるんじゃないかと思っている。特に日本の場合は、「会社主義」みたいなものが日本の優位性として語られて来過ぎたこと、さらに中国の経済成長とこれまでの「アジア観」のギャップというような問題があって、こういう話題と妙な節合関係が形成されやすいのだと思う。
そんで通俗的な話題としてそういうのが流布している間に、擬似的な政治対立構図の間隙を縫うように、人々に意識されないまま「激烈な改革と個人化」が進行しており、そして人々の無意識の行動はそれに拍車をかけつつある。私は、「激烈な改革と個人化」が進行すること自体は仕方がないことだと思っている。だけれども、「多くの人々がそうと意識しないまま進行すること」、およびそのために「その進行が、一部の人々にリスクを押し付ける形でいびつになっていくこと」は気持ちが悪い。

そんでこういう、「元来は経済的再分配と、それに直結する『自分自身の生活の問題』として語られるべき『民主主義の機能不全への不満と諦念』が、『(対日)歴史問題』という擬似問題として広く意識化されている」という事態は、韓国でも中国でも進行していると私は思っている。だから「日本=加害者/中韓=被害者」という図式の説明能力は、もうほとんどないと思う。

たとえば日本の「嫌中」論がよく取り上げるのは、文革とかチベット問題とか現在の言論統制とかの「共産党の横暴」である。「中国は非民主国家である」という訳だ。そんでこういう関心は、中国の若く青臭い「ナショナリスト」たち(最近はもうあんま見ないけど)の不満と、実は共通のものだ。彼らは「現在の共産党は、経済成長という名の元に対日柔和政策を取り過ぎている」という不満を持っており、つまりは「おれの意見が政治に影響力を持っていない」という「民主主義の機能不全」への不満であるからだ。

同じことは韓国にも言える。韓国を「非民主国家」と攻撃する声は今の日本では余り見ない(だから「韓国は無視して可」みたいな物言いがネットなんかでは多い)けども、これは韓国がいわゆる「民主化」を達成してからそれなりの年数が経っており、たとえば「光州事件」とかいうのを知るためにはそれなりのリテラシーが必要になったから、というだけの話だと思う。
韓国国内では、現在「歴史問題」と言われるのはほぼすなわち「国内の親日派清算」であり、小泉がこないだ靖国参拝した時も、ネット上ではたいした話題にならず、「かの有名な○○も親日派だった!」みたいな記事の方がはるかに多かったのである。
これは、日本からの投資としての日韓基本条約(それは「賠償」の機会を奪ったものとされる)なくして経済成長を成し遂げられなかった、という、韓国近代史最大のタブーがようやく「批判可能な形に認識として浮かび上がった」ということであり、実際に植民地時代の対日協力者たちの系譜というのは現在に至るまで、(信じがたいことだが)「確固たる実体」として、社会の富裕層・特権層として、目に見える形で残存している。これは現在の日本を相手にした問題ではなく、完全に国内の旧支配層に対する批判である。
その背景にあるのは、「日本と結びついた旧支配層の手によってしか高度成長がなされなかった」という自国史への憤りであり、その旧支配層たちが「民主主義」を抑圧してきた「横暴」の告発なのである。つまりこれも国内における「民主主義の機能不全」への怒りなのであり、「反日気運の高まり」では必ずしもない。

韓国や中国における、一見「反日」に見えるものも、実はもう「歴史問題」に限ったことではなくなっている。韓国や中国の当事者たちも、全員がそう「気付いて」いる訳ではない。かといって日本にいる我々がそれを「反日だ」とわざわざ誤解する必要もない。
日本の場合と同様、むしろ重要なのは国内における「分断」(EK先生より借用)であり、それを育む「民主主義の機能不全に対する不満と諦念」を、「歴史問題」という形で擬似的に問題化し、「相互になすり付け合っている」のが現在の東アジアの「ナショナリズムの応酬」である。というのが、2005年12月9日現在の私の結論である。
……さて、こういう話を、もっときちんとした文章の中に織り込んでいくには、どうしたらいいんだろうか。とりあえずメモしてみたけど、今からそれやんなきゃ……。

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2005年12月 4日 (日)

疑似問題としてのフリーター

金曜日はまたしても「たぶんどこ出しても恥ずかしくない激務」で、帰ったらすぐに寝てそれから10時間ほど起きなかった。まあ後半は、激務とか関係ない「単なる寝坊」。ま、土曜だからいいんじゃね。
ビデオを貸してもらったN先生は、ご多忙らしくお話できなかった。

そして今日は……もちろん家で書き物・調べ物。遊びに行きてえなあ。時間は作ろうと思えばまああるのだが、遊ぶような「友達がいない」から、結局「家で作業すんべ」に落ち着く週末がすっかり定着した最近の私。すいませんどうでもいい話で。

ところで、こないだの内輪の会合でもちらりと出たこの話題。最近の学生さんを見ていると、フリーターに対する妙な「上から目線」を感じる。「あいつらはバカだ」と。そして彼らの発想が向くのは「正社員」である。「おれは正社員になるからあいつらみたいにはならない」と。それがごく普通の若者の心情となりつつあるように思う。

そして「正社員」になるために「スキル」を磨くことになる。教育機関にもそれを欲する。「すぐ就職に役立つスキルを」という話になる。
個人的には、これはすごく危ないと思う。このブログですでに何度も使った「ダンピー」という言葉があるけども、「すぐに役立つスキル」で就職できる先というのは「専門職」である。これは一見聞こえがいいが、特にITを中心とした近年の「専門職」というのは、「熟練労働」のイメージのあった昔のそれではない。「使い捨て労働力」以外何物でもない職種も多い。こうした「専門職の下降移動」というのは、世界中どこでも起きてきたことである。
「フリーターか正社員か」というのは、実は根本的な差異ではない。後者だって、名前はそうなっていても、福利厚生を削って、解雇が容易だったら何もフリーターと変わらない。
「フリーターはどうも危ないらしい」という情報が一通り行き渡った後、その代案がいまだに「正社員」しか思いつかれないこと。こちらの方がよほど問題だと思う。

最近「就職が良くなっている」という。確かにそうらしい。しかし私が見聞する所では、「正社員」というのも昔のそれではないのが明らかである。月収15万などというのはザラである。
そしてたぶん、会社を移らないなら何歳になっても給料そのままだろう。私の同年代でも、「給料が上がらない」とボヤいている人が多い。率直に言えば、上がる訳がないのである。ただ同じ会社にいるだけで、年が経つに連れ給料の上がっていった時代が「異常」だったのであり、「異常」と言って悪ければ「社会主義」だったのである。
村上泰亮が言うように、それは「追いつき型産業化」というのが「国民的な合意」であり、その一点を雇用者も被雇用者も共有していた時代、かつ冷戦体制の恩恵のもとで「追いつき型産業化」が「実現可能」だったという、戦後日本独特の時代背景の産物である。

そのどちらの条件も既にない。その上で、「そのままでもたぶん辞めない」と分かっている従業員に対し、特に何のインセンティヴもないのに「給料を上げる」雇用者がどこにいるのだろうか。なぜそういう期待を持つ人がこれほど多くいるのか。そちらの方が理解できない。今雇用者が「給料を上げる」のは、「成果を上げた時」なんかではまったくなく、会社という枠でない形の労働市場がある場合、その中で「これ以上払わないと他社に引き抜かれてしまう」時だけであり、だからこそ個々の労働者はそれを前提に「より給料の高い会社を目指して頑張る」のが、当たり前だと思うのだが。
なぜ、これだけ「サヨク」が叩かれている今(笑)、古臭い日本型労組モデルが人々の頭の中に残っているのだろうか。たぶん、もうそれはフリーターの排除云々以前に、すべての労働者の機会を奪うものだとしか思えないのだが。
また、なぜ「大学新卒で即正社員モデル」というのが、いまだに「標準」たり得ると、堅固に信じられているのか。「新卒の正社員就職率」というのに、なぜこれほどすべての関係者が固執しているのか。言い換えれば、なぜとっくに消滅した再分配システムに対する信頼が揺らがないのか。

私は、今の日本で生じていることというのは、旧東欧圏で起きたこととかと比較されるべきことなのだと思う。確かに誰もそれを「社会主義」とは呼ばなかったし、別にそう呼ぶ必要もないのかもしれない。だが、たぶん70年代半ばくらいを境に「明らかに日本は他の資本主義国と違う道をたどった」。
そのまま30年近く経ってしまった現在、たぶん事態はかつての旧東欧圏とか中国とかより、ひどい。旧体制が「社会主義」などという形で「名指し」されていないからである。それならその崩壊を認識することができる。しかし少なくともマスなレベルでは、何とも名指されていない。だからフリーターなどという特定集団ばかりが名指され、疑似問題ばかりが提供されていく。「何かおかしい」けど「あいつらさえまともになれば何とかなる」という訳だ。しかしその「まとも」というのが既に実現不可能であることを、誰も言わない。
毛沢東とか金日成とか韓国民族主義とかの虚像を暴いて(そういう話の大部分は「まともな人なら誰でも知っていたこと」を、さも今大発見されたかのように言い立てているだけなのだが)溜飲を下げている場合ではない。私は今の日本の方が「よほど怖い」。

ところで、話が変わるが、その中国では「社会主義」が終わったことは誰の目にも明らかになっている。誰もがおおっぴらに口にしている。そしてどうなったか。
現在の中国の若者に「政治」という単語を出したら、ほぼ100%「ああ政治には興味ありませんから」と言われる。普通選挙もない中国では、「政治」というのはすなわち「共産党周辺」のこと(日本の中国ウォッチャーが好きなもの)であり、幹部でもない限りそこに参加することはできない。共産党が打倒されることも近未来にはないだろう。だから「政治には興味がない」。
そこで彼らの向かう先は、これまた「スキル」である。国有企業などすでに社会主義の遺物である。大事なのはスキルを得て金を稼ぐこと。その金で会社を起こすこと。これが社会に広くコンセンサスとして成立している点で、私は「日本よりマシ」だと思う。
しかしその近視眼的な「スキル」というのは、ほとんどの場合自分を「下降移動する専門職」にする以外の役には立たない。会社を立てて成功するために必要なのは、必ずしもプログラミングの知識でも語学力でもネットワーク構築技術でもない。そして現在では、いったん成功しても「名誉職」などというものに「殿堂入り」できる訳ではなく、絶え間ない流動性に適応できなければならない。「スキル」志向がそういう人間を作り出すだろうか。私はそうは思わない。
中国の若者は「経済成長の躁」と「政治的・社会的無力感の欝」に引き裂かれる存在になっていると思うけど、「スキル」信仰はその裂け目の中から生じている。政治的に無力だから、経済成長に乗る形で自己防衛しないといけないと考えている。それは間違っていない。だが、ごく一部を除けば「あんまり自己防衛になっていない」、というか、たまたまうまい職歴ルートに乗っかるかどうかという運の問題になりつつある。

「政治的無力感の欝」は、日本にも共通する問題で、この事態は基本的に日本でも相似形で進行中だと思う。違うのは、もう「経済成長」に誰も期待していないから、「今までの稼ぎを奪い合う」ことに意識が向いていることだけだ。
ちなみに私の余り話せない方の師匠(笑)は、日本でも中国でも韓国でも、[『近代化』にともなう時間的差異が横倒しになって」おり、具体的には「農本主義」というのが共通パターンとして取り出せるのであり、「政治的無力感」の背後にこれを見出そう、と最近考えているらしかった。
確かに、日本の国会議員のうち「なぜこの人が当選したのだろう」→「どうせバカばっかり当選するんだから選挙なんか行かない」というのは、長らくごく普通の風景になっている。また中国共産党の使う、内実のよく分からない、だから外国のウォッチャーにはバカにされる言語の多くは「農村幹部」を説得する目的で編み出されているものであり、そうした論理で推移する「政治」に都市民は関心を失っている。そこには、「中国は非民主国だ」とかいう、バカの一つ覚えみたいな「他山の石」論(日本はかつてこれを欧米相手にやって大失敗して今に至っているのだが)には決して見えない共通性がある。

「農本主義」とか言い出すとあまりに面倒なので私はタッチしたくないんだけども、一つだけ確実なのは、「旧来の制度が内部からはよく改革されないことが明らかになった時、その時点での既得権益層と、その他の層の利害が極端に分裂していく。そしてその他の層には、旧来の制度を保持する利益がもう得られないと認識されるので、欧米などよりもよほど激烈な個人化が進行していく」ということである。
で、どうするか。私には分からない。というか今書いてること事態まったくただの思いつきで、まったく適当に書いてるので、来週には変わってるかもしれない(爆)。何度も言うけど、いいんだ、おれのブログだから。

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2005年12月 1日 (木)

中国映画「上海にかかる橋」(大橋下面),1983

私には師匠的な存在が二人おりまして、本日はその二人に連続で会うという、極めて珍しい日だった。
何でも話せるE先生からは、先日プリンタを格安で譲って頂いた。わーい。そして本日も不甲斐ない原稿にコメントして頂いて、たぶん近年の私が「一番お世話になっている人」。
余り話せないK先生(笑)は、いろいろあるけれども、最近の私のことを意外にそこそこ買ってくれているらしかった。ま、えじゃないか。

ところで、これは非常勤先の先生にビデオを貸して頂いた、1983年の中国映画。数週間ほど前にお借りしたのだが、いろいろあって全然時間がなく、今日ようやく観られた。
以前にもちらほら触れた、文革後の「下放→待業青年」たちの苦労や苦悩が描かれている。都市に戻った後に「個体戸」として零細起業し、親からは「国営の方が安定しているのに」などと言われても、息子は「国の政策は変わるよ、四人組が打倒された時だってすべてが変わったじゃないか」と反論したりする。
……というような時代背景の元、これも非常によくあったんじゃないかとおぼしき、悲しい過去を背負った女性と、心優しい青年との恋物語が展開される。

活字でいろいろ読んでいたものが映像化されていて、「なるほどこういうことかあ」などと思う箇所がいろいろ。個体戸、下放、単位、生活委員会などなど……。この先生のおすすめにはハズレがない。

……まあ細かく言うとイデオロギー的な所もあったりするんでしょうが、かなり素で「いい映画だなあ」と思いました。細かいことを明日先生にいろいろ聞こう。そうしよう。

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