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2006年1月23日 (月)

やってもうた&ロハスとか

業界以外の方のお目に触れることは少ないかと思いますが、『社会学評論』という学会誌の56巻3号(2005年最後の号)に、「日本的脱工業化と若年労働力の流動化――『官僚制』と『個人化』の同時進行という視点から」という論文が載りました。
そんで……「私の論旨を歴史的に証明しているのがこの書物である」的に大々的にフィーチャーした文献が、リストから抜け落ちています(涙)。この場を借りて追記。

経済企画庁総合計画局,1985,『21世紀のサラリーマン社会』東洋経済新報社.

です。関係者の皆様大変申し訳ありません。訂正記事の依頼など出した方がいいんでしょうか。
教訓は、校正は自分できっちりやらねばいかんということです。校正が「金曜に郵送されてきて月曜までに返送しろという」過酷なスケジュールで、しかもその時メチャクチャ忙しかった……という言い訳もあるのですが、非常に恥ずかしいミスで「やっちまった感」一杯です。

内容的にも、実質的に2004年の12月に書いたものなので、その間に私の概念解釈などにも多少の変化が見られます(論旨の変化はないですけど)。新しい概念解釈の方は、ちかぢか出る予定の新書の中で、簡便に説明されている、はずです。

そして私は、「余りにもペースが遅い」<学>の世界と、「そりゃやり過ぎだろ」というくらいペースの早い商業出版の世界とのギャップに戸惑うばかり。きれいにまとめると「どちらも一長一短」です。それぐらいです。はい。

そしてまったく別の話。次の仕事のため、週末、M田女史に付き合ってもらって雑誌をいろいろ買い込んで来た。
雑誌というメディア形態にものすごい思い入れのある人々が、私の世代周辺(あとちょっと上?)にかなりの厚さで存在していることは知っているのだが、私は、青山ブックセンターとかの棚に現在インフレ気味に並んでいる雑誌の数々の大部分は「なんでこれを作りたい、買いたいという人がいるのか」よく理解できない。というかその感覚は理解できなくもないつもりだけど、「みっとも良いもんじゃない」という感じ。

「ロハス」というのがどう取り上げられてるのかちょっと見てみたいな、というのが目的の一つだったので、数年ぶりに「ソトコト」を買ってみたが、何のこっちゃさっぱり分からん。「スローフード」というのもよく分からなかったけどな。
というか、『The Cultural Creatives』という書物がロハスの精神の創始者だそうですが、もしその理念に本気で共感してるんだったら、「ロハス」という単語を商標登録したりする前に、まずその訳書を出すのがスジだと思うんですけど……とか言うのは無粋なんでしょうか。割と儲かった後でも、本家の意志を日本に伝える気はないみたいですね(笑)。洋書の方で読んでみます。はい。

ゴタクを垂れますと、「スローフード」~「ロハス」で前から疑問だったのは、たぶん本家の方はカウンターカルチャーから派生した動きなんでしょうが、こちらに来ると、もんのすごい保守・守旧派と奇妙な親近性を持っていること。
たとえば私の同僚のAM君は、日本の零細小売業を奇妙に延命させ、「真綿でクビを絞める」ようにその終焉を先送りさせてきた(そしてその後コンビニとかいう奇矯な形態に変身せざるを得なくさせてきた)日本の商業規制についていろいろ書いておられますが、この雑誌で誉めそやされてる各種の「エコな」零細産業というのは、そういうのとどういう関係があるんでしょうか。コンビニ文化の悪口書いてそれで終わりなんでしょうか。
あともっと単純に言えば、中国で伝統食材とか作ってる会社って、ちょっと前まで全部国有企業だったと思うんですけど(今でも一部そうかもしれん)、現在その事業形態が良いと思ってる人も、それが「持続可能な発展をもたらす」と思ってる人も、中国には一人もいないと思うんですけどね……。「伝統」を誉めそやすだけだったら、旧制度の方が良かったという話になるんでしょうか。
今酔っ払ってるんでアレなんですが、ほんとにくだらねえよ。ソトコトは環境庁から事業支援をもらってるそうですが、ある意味なるほど納得ですね。

もう一個、幻冬社から出てる「ゲーテ」。「ビジネスホリック」というのがコンセプトだそうです。村上龍の「おれには趣味なんてない、映画も音楽も全部ビジネスとして関わってる」という主旨の短文が寄せられておりますが、あとの紙面はクルマとか服とかグルメ情報とかで、それ「趣味」の情報じゃないんですかね。分るのは「現在40歳前後」をターゲットにしているということだけ。
あと、「ビジネス最前線」みたいな形で取り上げられてる人が、奇妙に「メディア・文化系」に偏ってるのも、ある意味この世代の時代精神をよく表してると思います。

またゴタクを垂れますと、「ワーカホリック」というのが、会社主義の日本では「会社に忠誠を尽くす」ことに勘違いされ(その反動で「ゆとり」だの「スローライフ」だの下らないウソが撒き散らされ)、スティーブ・ジョブスみたいな「感覚を金に換える仕事にのめりこむ」形の「仕事中毒」とは別の形になってきた、という違和感は私も共有しております。仕事について、それとは違うイメージを定着させることは確かに必要でしょう。
だからと言って、「メディア・文化系」の代表として、フジテレビのお偉いさんを取り上げるのは違うだろう。たぶん、いろいろな間違いの大元にある「会社」という要因を、正面から取り上げることを怠っているんだと思う。それでは、いくら「新しい仕事のコンセプト」とか言っても空虚なだけだと思うんですけどね。盛田昭夫とか本田宗一郎とか、「伝説のビジネスホリック」をそういう観点から再解釈することは絶対に必要だと思うけど、結局ただの評伝になってるしなあ。

他にもいろいろ見てみたけど、正直文句言う気もしない。なんでこうなっちゃうのかなあ。TMさん、そんな感じでちょっと回り道しちゃいましたが、最初のプランに立ち戻って早急に考えます(汗)。

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2006年1月19日 (木)

大塚英志,2004,『おたくの精神史――1980年代論』講談社.

更新をさぼったので誰も見ていないと思うが、今回思ったのは、こういう所で毎日ちまちま文章を書く作業が意外に大事だということ。
その他、今度の件ではいろいろ考える所がありました。まあ追々。

一応初稿ができまして、まだいろいろ直さないといけなそうだけど、とりあえずこの作業からはいったん離れても大丈夫な感じ。
ありがたいことに、もう次のお仕事を頂いているので、そちらの準備もしなきゃいけないし。

そんでこちらの本。ずいぶん前に読んだんだけど、ちょっと手が空いた今になってノートを取ったりしてみた。
関係ないけど、私は読んだ本のノートを取らないと論文を書くことができない。しかし意外に取る人は少ないようだ。どうやって書いてるんだろう。不思議。

この人の書く物は(まあ全部はフォローしてないけど)、変な文化関係の社会学者よりも、よっぽど社会学的な感じがする。日本だと大体世代というので区切られると思うけど、それぞれの世代にはそれぞれの先験性みたいのがあって、なぜか誰にも語られない・批判されないポイントというのがある。
そういう無言が二重三重に積み重なった結果、いろいろなことがおかしくなっていると思うけど、「消費社会」というのを割ときちんと論じている数少ない人の一人が大塚英志だと個人的には思う。この人を妙に批判したがる人が多いのは、ある世代の先験性ポイントに直で触れているからだろう。
私はそれもギリギリ分かる世代なんだけど、やっぱりこれ以上嘘の上塗りをするのは良くないと思うな。そういうことすると、下の世代から十把ひとからげにバカにされそうだし……。曖昧な言い方ですけど。

この本にはいろいろなことが書かれているけど、主に「日本の消費社会化は、消費者の調達であって、生産者の育成ではなかったという事実」をめぐる、歴史的な当事者の発言、という風に私は読みました。
そして、ある種「消費者のままでいることを強いられた人々」が、本来受動的な行動であるはずの消費を(擬似的な)「自己演出」と錯覚し、そのまま突き進んでいろいろ奇矯な身体を作り出していくことになったと。
こうまとめると取り付くシマもないですが、まったく間違ってないと思う。いま、そうした人々を生んできた歴史の「尻拭い」の試みがいろいろ行われているけど、大方の試みも奇矯であるのはなぜか。そういうことを考えるのに有用な本だと思う。
……まあ、最初は漠然とした所からメモしていこうかなということで……。

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