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2006年4月28日 (金)

4/27・朝日新聞夕刊に取り上げてもらいました

ありがたいことです。ちなみに20面(文化面)です。はい。自分で写真を見て思ったのですが、おれ、ここ1年くらいでほんと老けたな……。でもカジュアルな服装してれば、もうちょっと若く見えます(必死)。

その、老けた一番の理由が、先ごろ上梓させて頂きました『不安型ナショナリズムの時代』です……。ほんと大変だった……そして助力をくれた周囲の友人たちに、改めて感謝する次第です。
特に……同僚の「AM君」こと新雅史氏には、あの長い草稿を二度三度と読んでもらって、綿密なコメントをもらった。持つべきものは友達ですね、ほんと。ちなみに新君は、「論座」の4月号に「フィットネス化する社会」なる論考を発表しておられます。

そしてこのブログは、私が現在書いているもののメモを、完全に自分用として(笑)書く場所だったのですが……「せっかく著書を出したんだから、少しはそれについて書け」と、周囲からしばしば助言を頂きます。
ここ数回、なんか大仰な書評をいろいろ書いているのは、現在書いているものがそんなものだからなのですが……ちょっと中断して、次回から、その『不安型ナショナリズムの時代』について何か書こうかと。

私の考えていることには、当然ですけども、私の個人的な体験がいろいろ背後にあります。それを個人的な体験としてそのまま書くのは、まあ余り意味のないことだと私は思いますので……他者と共有可能な形にするべく、一般化・抽象化して書いたのが、その本です。
それが「抽象的過ぎる」というようなご批判を頂くこともある訳ですが……はっきり言って、私の20代のすべてがあの本の中に入魂されているのであり、ある意味私は、自分で作ったその圏域から、一生逃れることはできないのではないか、とすら思います。
それは多少の不安感を伴う感情だったりもするのですが……ともかく、そこに書いたことの背景にあるいろいろな事情を、多少はちょこちょこ書いていったりしようかなと。
自分語りは全然好きじゃないんですが、今回、いろいろあった会話の中から、インタビュアーの方がそういう部分を大きく取り上げて下さった……という事情からしても、ルーツに立ち戻ることは必要なのかもしれません。ちょうど、もう一人の師匠から、似た主旨のアドバイスを受けている所でもありますし……。やっぱり結局は自分用のメモで、恐縮なんですけども。はい。

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2006年4月25日 (火)

続・松原隆一郎 『分断される経済』

最近妙に疲れやすい。確かに多少は忙しいが、そこまで言うほどでもないんだけどな……なんでだろう。
長い間溜め込んでいたものを、単著の形で一気に吐き出して、それに対していろいろリアクションを頂いたりして、多少参り気味っぽい気もする今日この頃。でもリアクション頂けるのはありがたいことです。何かあったらコメントでもメールでも下さい。どうぞよろしくです。

ところで……妙に間が空いてしまったけど、前回の続き。
この後は、割と各論っぽい論点が多い。そして非常に共感できる。なのになぜ、前回書いたような違和感が残るのか。次書く論文では、そんなことが表現できていると、いいなあ(なかば運任せ)。

*まずは都市再開発について。

・「都市再生」論は、塩漬けで廃れた土地ではなく、すでに人気のある土地を狙い打ちにしている(148)。都心から地方に人口が去ったから成長率が下がった、などと論じられている

*「入れ替え可能性」に対して、「場所のアウラ」のようなものを復権させようという試みはいろいろ行われているけど、「都心回帰」とかいうのはそういうのと別個のメカニズムで動いているもので、前者が後者に追随するだけだったら、別にわざわざ地方自治体とかが出てくる必要はないですよね。確かに。
でもなぜわざわざテコ入れが行われるかというと、以下のような事情が考えられると。

・「建造物の寿命の作為をも感じさせる短さと業界の建て替え体質とが、戦後日本の建築物の特徴だ」(157)。
 長期雇用制度を前提とした住宅ローンを組んだ人から、自己破産者が続出している。また阪神淡路大震災では、二重ローン問題が深刻に。「あの手この手で国民に借金させて家を買わせ、倒壊すれば自己責任と言って放り出す」(155)
 背景には政財官の癒着があり、構造改革はそれを再結合させている(155-6)。

*少し話がズレますが、個人的には、そもそも人々の側の「持ち家志向」というのがあまり理解できないし、なんで郊外に住宅地を作りたかったのかもよく分からない。バブルの地価高騰で郊外に弾き飛ばされていった、というだけなんだろうか。大正期の沿線開発の話とかはよくある訳ですが……たぶん80年代初頭に生じた一大転機について、当事者の(要は団塊世代の)発言というのは、恐ろしく少ない。なんで?

*ちょいと飛びまして……次に規制緩和の話。

・93年の宮沢・クリントン首脳会談に始まり、「日米投資イシニアティブ」→97年の独禁法、商法・証券取引法改正→98年のビッグバン→99年の株式交換・株式移転制度導入→01年の会社分割制度創設・金庫株制度導入などにいたる、外資による日本企業買収促進(185-6)。
・日本が自主的に規制緩和したものだが、政府が国民に周知徹底しなかったため、ライブドアが生まれても当然だった(187)

*たぶん今、中国が一番注目している「失敗例としての日本」ってこの辺りにあるんでしょうが……私が勉強不足なので、また追い追いに。

*続いて成果主義の話。

・「成果主義が【社内外の】風通しの良さではなく上司の裁量と結びつくと、逆に組織の閉鎖性を高めてしまう」。
・例がJR西日本の尼崎脱線事故:JRで唯一成果主義を導入しており、上司の宴会の誘いを断れなかったのかも(204-5)

*前回の繰り返しになりますが、こういう組織内に閉じた成果主義は、悪弊ばっかりで、ちっとも成果主義ではなく、<だからこそ外部労働市場がなるべく公平な形で形成されるように>と考えるのが普通だと思うんですよね……。なのになぜ「かつての終身雇用のもとでの予測可能性」の方が「マシ」なのか。それが分からない。

*そして結びとしては、「社会資本」の話になります。

・戦後日本は不確実性の縮減と「信頼」の醸成を中心課題としてきた。90年代にそれがうまくいかなくなったが、代わりに登場した構造改革は、信頼の再構築ではなく無視だった(240)。
・「経済は、非経済的な部分と表裏一体となっているのであり、純粋な市場化はそもそも不可能なのである」。その中での市場化の貫徹は秩序の崩壊を招く。終身雇用制の解体の後、コミュニケーションの場がないままで、不安や自殺率の高まりが生じている(242)
・「社会資本」は、一旦会社に吸収された。でも「会社という共同体に戻れない人は、自分の能力を評価してくれるなんらかのネットワー(242)クに身を置かなくてはやりきれない」(243)。→スポーツクラブ振興、暗渠河川の復活、地方の商店街など

*私も参加している某先生のプロジェクトの次のテーマが「コミュニティ」だけど……詳しくは追い追いにするけど、要は「不確実性をなくす素晴らしいコミュニティ」と長らく信じられていたものが、まったくそんなもんではなかったことが明らかになった。というか、実はその中で「コミュニティ」が根こそぎ消滅していたのが明らかになった。その間、他の先進国では「社会関係資本」とかが論じられていたにも関わらず……。
 「で、やっぱコミュニティ」となった時に、一体どうすれば良いのか。そこで古臭い「大平総理の政策研究会」とかが呼び起こされるのは、ちょっとナシなんじゃないかと思う。かといっていきなり「ストリート」とか「趣味空間」とか言い出すのも明らかにおかしいし……というような所に考えどころがあるんじゃないかと。
 「地縁・血縁」とか、そのスジでいろいろ再考されるべきでしょうが……これがまた、韓国の保守派から「地縁・血縁があるのは韓国の近代化が素晴らしかった証拠だ」とか言われると、それもちょっと違う気がするし……。
 あと、中国のマンション建設ラッシュの時に、一番論じられていたのが正に「コミュニティ・メイキング」で、社会学の主なニーズもそこにあったくらいだそうだけど、それがうまくいったかどうかは結構先にならないと分からん気もするし……。

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 ところで蛇足だが、いろいろな所で、微細な話題を巡って妙な「党派」が結成され、両極端に分かれた陣営の間に、下らないケチの付け合いが繰り広げられていく……という風景が見られる気がする。特にオンラインで。そういうのに充実感を覚える心性は、私にはよく理解できない。
 
 私はこの本と、いろいろな価値観を共有していない気がするけど、「だからこそ読んだ時に自分の理屈をこねる必要性を感じさせられる」というのは、私の価値観で言えば「めちゃくちゃ面白い本」ということになる。
 今回の例で言えば、「昔の終身雇用を誉めているからダメ」とかいう評価は、批判として下の下であり、そういう人は「昔の終身雇用はダメだった」という一行を、一生ブツブツ唱え続けるだけで終わっていくだろう。これに限った話じゃないけど。
 私は別に、一行でまとめられるお題目のもとに、ケチな徒党を組みたくて色々考えたりしている訳じゃありませんし……いろいろあって多少取り乱しましたが(笑)、とにかく、この本は「必読」です。はい。

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2006年4月13日 (木)

松原隆一郎,2005,『分断される経済』日本放送出版協会.

先日、とある会合にお呼ばれしました。その時、またもや酔って、うつらうつらとかしてしまいました。薄暗い店だといけないみたいだ……気をつけよう。もしご覧でしたら……すみません。でも楽しかったので、またぜひご一緒させてください~。

時に、某KSJ御大が出演していたNHK-BSの番組を、見逃してしまいました。どなたか録画した方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませんか。よろしくお願いします。

ところで、某所での同僚にもお弟子さんがいる、松原隆一郎氏の最近著。……実は、先月末の毎日新聞で、中央公論に発表した論文を取り上げて頂きました。
彼の関心は、私や同世代の同僚たちとすごく近い。だがこの本をめぐっては、私の周辺でも議論の分かれている点がいくつかある。これは議論が分かれているのか、それとも結局は同じことを言っているのか、自分でもよく分からない。いろんな対立軸を整理していく、というのが大事な作業だと個人的に思うので、いつもながら完全に自分用のメモを書いておくことにする。

*「構造改革批判」というのが、最も基本的な主旨となっている。構造改革が「分断」をもたらしていると。

・小泉改革において、「公」が「小さな政府」という理屈で仕事を放棄している。必要な「公」は創出するべき(14)
・「リストラが一巡し、収益を回復した大企業の従業員などはみずからを「勝ち組」とみなすにいたった。二極化は、期待ではなく実態にも及んだのだ。ここの人々にとって将来に向けての最大の不確実性が、終身雇用制の崩壊がもたらした「リストラされるか否か」にとどまらず、この断層線のどちら側に属するかになりつつある」(13)

*ここで「トリクル・ダウン」という言葉が出てくる。よく言う「格差拡大」とか「行政のスリム化」とかが問題なんじゃなくて、何かしらのルートで「上」から「下」に利益が降りていく構図が必要なのだと。
「構造改革」が持つ真の問題は、この「トリクル・ダウン」の回路を断ち切り、何も降りてこない「下」を「分断」してしまったことだ、と。

・二極化が正当化され得るのは、優位→劣位に利益が及ぶ「トリクル・ダウン」が機能するか否かによる(13)。「公」の極端な削除は、政治がその構築を放棄すること(14)
・「大きな政府」であること自体に善悪はなく、トリクル・ダウンの有無が問題(43)。

*そして「トリクル・ダウン」が機能していた「構造改革前」のことが概観してあるのだが……前回の「大平総理」の中で書いたけど、この「かつての日本」の論理は「中心を保護するため、周辺をバッファにする」というのを主眼にしていたのであって、それを「上から下に利益を降ろしていった」ものと評価して良いものなのかどうか、というのが、個人的には多少疑問に思う。
 たぶん「実証的」に言えば「どちらの側面もあった」ということで、後は価値判断の違い、としか言いようがなくなるような気がするけど……

・下請け構造などの撤廃はトリクル・ダウン構造の破壊であった。
 「問題は、株主と従業員、大企業と中小企業、都市と地方、正社員と非正社員の間で、関係がなだらかに続いているか否かだろう。もし「格差」と呼べるものが大きくなく従来通りに前者と後者が結びついているのであれば、景気回復の第一段階では大企業や都市・正社員だけが恩恵を受けるのだとしても、次第にその影響は中小企業や地方、非正社員に波及していくはずだ。それが「トリクル・ダウン」現象である。【中略】
だが、中国などとの経済関係の濃密化すなわちグローバリゼーションによって、企業間の取引とりわけ大企業が行う対企業取引は、地方や中小企業よりも海外に向けられている。中小企業や地方経済は、大企業や都市の下請け的な立場や長期的な取引を行うという慣行を維持できておらず、それゆえ大企業で輸出が増えても効果は波及していない。そのうえ、公共投資は減っている」(35) 
・「構造改革は、理想としては「機会の均等」と「トリクル・ダウン」によって万人に好景気の恩恵を施すかのように唱えている。けれども現実には、景気回復は大企業や都会、正社員に都合よく果実をもたらし、それは中小企業や地方、非正社員の全域には及びそうもない。経済は、「分断」されたのである」(36)

*たぶん松原氏は、理念としての「構造改革」というより、その現段階での実行のされ方と、現実的な結果への批判に主眼を置いているのだと思う。その意味では納得できるし、私などの実感とも非常に近い。
 だけれども、その時に「それ以前」を批判の土台に置いて、「その崩壊こそが悪だ」という論理にすると、「それ以前」にもいろいろあった問題が全部覆い隠されてしまうような気がする。
 私は、現在の「分断」の萌芽は、みんなが浮かれていた「それ以前」の状況に内在してあったのであり、「市場主義」とかいうのが外からやってきて「分断」を形成しつつある訳ではないと思っている。
 というか、そういう風に書かないと、今の日本ではすぐ「昔の方が良かった」とか「昔ながらの正社員システムがあれば良いんだ」とかいう風に、「誤読」されてしまうような気がするのです……。私が学生とかとばっかり会ってるからかもしれないですが。

*だから、たとえば……今、地方の都市とかに、かつて「トリクル・ダウンを受け取っていれば大丈夫」だった企業がいっぱいあり、それが大丈夫じゃなくなって、中国とかにどんどん奪われていると。
 その上でいろいろ対策が取られているようだけども、たとえば(同僚のAM君がよく言っているように)「大手メーカーのコールセンターを誘致しよう」とかいう形で、実質的にはただの使い捨て労働力を地元で量産しているだけなのに、「トリクル・ダウンを取り戻せた気になってしまう」ような心性の方が、個人的にはよほど気持ちが悪い。
 また別の例を出せば、東京を経由しないでアジアにつながる回路を探す動きの、かなりの部分が「アジア交流」とかいう話になって、「文化」でいろいろやろうとして、全然うまくいってない(ように見える)のはなぜか。私の価値観で言えば、そういう時に「文化」が出てくると大抵、というか当然、ダメになると思うけど……。
 要するに、まさに松原氏が書いているような背景事情が熟慮されないままに、「よく分からない擬似解決策」ばっかり動きがちなのはなぜだろうか。よく考えれば、別のやり方がいくらでもあるんじゃないか。そしてその別のやり方を思いついている人がたぶん既にいっぱいいるとすれば、その実現を阻害しているものは何なのか。……とかいうことを考える方が、「東京の構造改革」を批判するより先なんじゃないか、という疑念が拭えないのである。

*別に地方の話だけじゃなくて、同じことは正社員とそれ以外の差とかにも言えることで……。今の話の延長上で、行政が「若者自立塾」とか作って「何かした気になっている」のはたぶん逆効果しか生まないと私は思うし、「そういう公的支援がもっと欲しい」と思っている当事者がいればその人は間違っていると思う。立岩真也氏が主眼に置く障害者とかは別なのかもしれないけども……。
 なのでたとえば以下のような事実認識は(私が詳しく知らないこともいっぱいあるけど)実感として私も納得できることばかり。

・貯蓄率の低下=高齢化が原因などと言われるが、勤務先企業の規模の差が大きく影響している。高額消費や住宅を購入しているのは大企業の従業員で、それ以下の企業の従業員は消費を減らしてもまだ家計予算が不足している(40)
・97~03の急激な構造改革は、深刻な不況をもたらした。97の消費税率引き上げ・社会保険の負担増→消費意欲の減退・金融危機(62)。つまり「不確実性の増大」が、消費や投資の減退をもたらした。終身雇用の時は、将来の予測可能性があったにも関わらず、それが失われたから(62-3)

*……なんだけど、たぶん「不確実性の増大」に「かつての予測可能性」を対置する時、どうしても「後者の方がマシだったのだ」と読めてしまうのが、私の感じる違和感なんだと思う。
 私は、いろんな所で進んでいるおかしなことの根本に、「予測可能性をどうしようもなく追い求めてしまう我々の心性」みたいなのがあって、それが「もっとマシ」なことを生みそうな動きを、どんどん歪めていっているように感じている。まず批判するべきなのは、「不確実性の増大」より、「副作用を伴う予測可能性希求」の方なんじゃないんだろうか、と……。

どうせおれ、「心性」の話くらいしかできないしな……などと、独りで勝手に暗い気分になっている春の深夜。次回も引き続きこの本と対話を試みる(大げさ)。

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2006年4月 7日 (金)

続・『大平総理の政策研究会報告書』

『不安型ナショナリズムの時代』ですが、もう書店に並んでいるみたいです。
はい、宣伝です。ヒソヒソ

そして前回の続きで、『大平総理の政策研究会報告書』についていろいろ。
この報告書についても、ものすごく短くですが、本の最初に書いています。

◆「対外経済政策」研究グループ報告書 395-435

*ここでは、まず、二つの目標が提示される。
①市場経済の秩序維持
②南北問題の解決
それぞれ見てみると、

 ①市場経済の秩序維持
・自由主義経済の弊害:
1)景気変動や失業の発生、分配の平等化、独占への傾向と国家産業の癒着
 具体的には、先進諸国のスタグフレーション傾向、南北の所得格差の拡大、独占的行動の世界的拡がり、である
2-1)環境汚染や公害激化、2-2)途上国の貧困
3)米の優位低下→無秩序・混乱→巨大になった日本経済の国際的役割が大きくなった

*この時代、「格差」というのはすなわち「南北問題」のことであり、今現在広く論じられているような、国内におけるそれではまったくない。そのうえで……

 ②南北問題
・日本はまだ発展から日が浅いので途上国の現状を理解できる&脱却のノウハウがある

*という訳で、要は①でも②でも日本が重要だと言っている。日本の経験が、先進国向けには「先進病の回避」、途上国向けには「離陸のモデル」として、世界のほぼすべての問題に対する解決策を提示するキーになり得る、という訳だ。
 今考えれば明らかに、自国内の問題に対するただの脳天気なのだが……一面では、「だからこそ責任感を持って将来ビジョンを語らねばならない」という切実さも持たれていたのである。

 それはともかく、具体的な提言はと言えば……
・「国際分業に合致した国際協調を進める上で、産業構造の変革を行うとともに生活スタイルを変化させることに対応する。これは、一方では貿易その他からの利益を享受するとともに、他方ではそのコストを、国内経済条件の場合によってはかなり苦しい調整の形で、払わなければならない状態を招来するであろう。
 ところで、このコスト負担は、国際関係の変化から直接影響を受ける当事者のみならず、国民各層が広く分かち合う必要があると考える。この必要をみたす政策や制度のあり方を、「福祉国家」への道とか、公共部門の役割の新しい出現とかいうことが出来よう。自由主義原則の基本的骨格は維持しながら、その弾力的運営を漸進的な政策や制度の変革の下で行おうとする、この種の試み……」(407)

*産業構造の変革が、なんで福祉国家への道なのか、まったく分からない。今の言葉で言う「構造改革とその痛み」が、なんで「福祉国家への道」なんだろう?
 一応読み取れるのは、……要するに、大きくなりすぎた日本の比較優位による国際分業のコストを積極的に負担せよ、ということ。そのコストというのは……
1)対途上国(援助)・そのからみでエネルギー問題(416)
2)貿易摩擦の回避
 なのである。「途上国援助」と「貿易摩擦回避」。市場開放・流通改革・公共機関の民営化なども、この文脈でのみ論じられている。今の「構造改革」と違って、「途上国を助ける」ことと、「アメリカからの文句をかわす」ことに(のみ)主眼があった。こういう中で、抜け落ちていった話とは何だったのか。いちいち検証する作業がやっぱり必要だと思うのです。はい。

 これらすべての背景を成しているのは、オイルショックであり……

・失業などの問題は石油ショックによる世界不況に対してのパフォーマンスに還元される。英・伊は負け、西独・日は勝ち。「経済のファンダメンタルズが強固」だったから(430-3)

 だ、そうである。

◆「文化の時代の経済運営」研究グループ報告書(この報告書だけ、頁数はバラ売りバージョンのもの)

前回書いたように、この報告書がこの研究会全体のキモです。
「文化の時代」。私は、この提言の内容は、日本の社会意識として、今でも色濃く残っていると思いますね。たとえば今、「ニートとかフリーターとかがどうのこうの」とか「ホリエモンとかヒルズ族がどうのこうの」とかいう形で語られている問題に違和感があるとすれば、まずこの研究会の知見と引き合わせてみるのが良いと思う。身近に敵を作って批判すれば済む問題ではなく……敵はかなりでかい(笑)ということが分かる、ような気がする。

*主な時代認識は、「目標とすべき欧米モデルにはもう追いついた」というもの。

・「今日、日本社会が、近代化・産業化を成し遂げ、最も先進的な産業社会となったなかで、日本人にとって「近代」とは、もはや志向すべき目標ではなくなったのである。日本人の価値観を測るための新しい次元が、検討されなければならない。それは、「西欧的なものの見方」に対し、「日本的なものの見方」という軸を採用することでもあろう。それは、日本社会が伝統的にはぐくんできたあたたかい人間関係や人間と自然との調和を重視する日本的価値観の見直しにもつながるものである」(16)

・「文化の時代」=「かつてない自由と経済的豊かさは、これまでの物質文明や近代合理主義の下で、ともすれば見過ごされがちであった人間の精神的・文化的側面への反省を促し、より高度な人間的欲求を目覚めさせるに至った。いまや人々は、物質的・経済的豊かさにとどまらず、さらに、生活の質の向上、人(25)間と自然との調和、人と人との心の触れ合いや生きがいなど、精神的・文化的豊かさを強く求めるようになった」(26)
→それぞれの国民にはそれぞれの文化的特質があり、尊重されねばならない
→「われわれは、急速な近代化や高度経済成長を可能にした日本の文化を検討するとき、そこに多くの優れた特質を再発見した。それらの多くは、西欧社会が市民革命、産業革命以来の「個」の確立を目指した近代化300年の歴史のうちに、もろもろのいわゆる文(30)明病や孤独な個の窮状に遭遇し、「全体と個の関係」や「個と個の間柄」を見直し、「全体子(holon)」という概念を求めている最近の方向にも沿うものであろう」(31)

*そして全体として……「近代」の行き着く先の病理としての「個人主義」を回避する形で、日本が世界から脅威と見なされるぐらい経済発展を成し遂げたという、「近代の超克」が語られる。

*では、日本の高度成長とは何か。心理面としては、「仕事における会社」と「活発な消費」が重要だった。これら自体には何の問題もないが、残る問題としては、「生きがい」を持てない人が多いことがある、らしい。

・「高度産業化を支えた社会心理」
1)「会社中心主義」と「生産中心主義」
2)個別化と即自化(生産に拘束されきらない自由、ゆとり、レジャー)
3)価値観の変化=「消費のスタイル」が新たな基準になった。
 しかし他方で、移ろい行く流行などでは自己形成ができないという不安が、「生きがい」希求を強めてもいく。

*制度面としては、自由市場に任せるのでもなく、政府が「計画」するのでもなく、政府は金融政策と「行政指導」に留まり、あくまでも企業間の競争の中で成長が拡大していったことが重要、とされる。

・戦後の高度成長の「制度的基盤」
1)「民間経済部門の急速な拡大」によるのであり、財政はそれが調整しえない部分の部分的調整役に過ぎなかった。これが民間投資を促進し、積極的な拡張経営を有利にし、企業間競争と企業努力を促進し、「成長促進的な構造」を形成した(69-70)
2)「金融市場における統制」=1)「資金の国際的な流れを遮断」、2)「人為的低金利政策によって信用割当てを行い、基幹産業と輸出産業に資金を重点的に配分した(70)
3)70年前後からの制約=1)海外からの抵抗増大=外国為替管理の統制が困難に、2)財政赤字の拡大と国債の大量発行(71)
・政府と計画と行政指導の役割は目標設定であって、達成のために直接的手段を用いたことはほとんどなかった。
・問題は、業界内の不公平忌避と横並びの取り扱いのため「行政指導の枠組みの中で、生産や販売の拡大を目指し、かえって激しい「過当競争」が生じる傾向がみられる」こと(73)

*心理的・制度的両面で、日本の達成したこれらの点はすなわち、「間柄文化」という日本の特殊な文化的土壌が、「個人主義」という「文明病」の回避を可能にしたことを意味している。

・「欧米先進諸国における市民革命・産業革命以降の「近代化の時代」は、「個人主義の時代」ともいわれるように、政治的にも経済的にも社会的にも、「個」の確立を目指した時代であった」=「個人主義(individualism)」
・「厳しい「個」の確立の要請は、機会の」「平等」の下に、絶えざる「自己主張」と厳しい「個人競争」の「自由」を結果し」た。「しかし、近年に至り、欧米先進諸国が高度産業社会として成熟してくると、その中で、かつて近代化を支えた「個」は、「孤独な個」、「疎外された個」となり、「全体」の前に無力化して、逆に社会の活力を低下させる大きな要因ともなった。即ち、「文明病」の発生である」(75)

・日本も欧米を模倣し個の確立を目指したが、「日本の文化的風土」が大きく影響した
 =「「間柄」の重視と、個の競争より「社縁」「なかま」→「「人間」を中心に据えた経済運営」(76)

*これが日本の「ポストモダン」であり、ポストモダンというと通常想起される消費論だけじゃなくて、「会社主義」とか「日本的経営」というのもポストモダンだったこと、そこには「近代の超克」という意識が如実に込められていたことも覚えておくべきだろう。
 蛇足だけど付け加えれば、「消費に踊って仕事しない」というのが前者の意味の「ポストモダン」の再検討を要請するとすれば、「会社主義の崩壊と副作用」とかいうのが露呈しているのも「ポストモダン」の再検討を要請するのである。
 その片方だけを批判して、すべての問題の責を負わせようとしても、意味がないし面白くない。たとえば若者論と団塊世代論が共につまらないのは、そういうことだと思うし、「消費に踊る若者に対し、正社員になるよう訓練を」という提言が胡散臭いのも、そういうことだと思う。
 結局は、巨視的な文脈としての「バブルの再評価」みたいな所に行かざるを得ない。というか最近の議論の流れは、もうそうなってると思いますけどね。はい。

・日本の雇用特性=長期安定雇用と年功序列賃金
1)中核と周辺の二重構造と下請制
 環境変動への対応は、一般的に4種。1)余剰労働力の切捨てや新規雇い入れ、2)定員を低めに抑えて就業時間で調整、3)長期安定雇用の中核とクッションとしての周辺という二重構造、4)組織外には下請制をクッション。
 日本の場合、欧米型の1はとらず2-4を取った。
2)組織原理=欧米型でリーダーのパワーによる統合の「トリー構造」【ママ】ではなく「リゾーム構造」=「間柄」「なかま」として「なんとなく「総合」されている」(82)
3)勤労者の意識の組合=企業への不利益になる場合にはみずからの賃上げを要求しないし、そういう判断力と企業へのインセンティヴがある。
 「日本では、勤労者がおおむね25才を過ぎると、その暮らしのほとんどが企業内にビルト・インされてしまう。勤労者は、自分の生活や社会的評価、家族の満足度などが、自分の属する企業の先行きと密接に関係していることをよく知っている」(85)
4)日本型市場経済と競争=欧米の「個人競争」に対する「集団競争」。欧米では「公正かつ自由な競争」がないと言われ日本では「過当競争」と言われるのもこの違いによる。「機会の自由」の確保による個人競争の自由の欧米に対し、日本では「なかま」集団【内】の競争なので「分相応」が大事になる(89)。「分を過ぎた分け前」要求は「なかまはずれ」として追求される=日本的公正は「結果における平等」(90)。
 つまりルールを守れば自由競争の「フェア・プレイ」に対する「フェア・シェア」=「最適な分配方法」(90)

*……「クッションとしての周辺」を置くことで「中核」を守るという「二重構造」が、(「なかま意識」を育むというのはともかく)「公正かつ自由な競争」「最適な分配方法」につながる、という思考回路は、まったく理解ができない。
私が、「日本的経営の堅固な雇用を復活せよ」という提言に、ことごとく違和感を覚えるのは、そういう話を聞くとこの一節を思い出すからでもある。

*そんで、その利点と欠点が共に挙げられるけど、そのうち利点の部分では今では冗談・反語にしかならないのに対し、欠点は「全部その通りになった」という……。

・日本的経営の活力:
1)長期・年功制により昇進に対する強い願望と競争意識(=インセンティヴ確保)
2)組織巨大化による硬直化を防ぎ小集団間競争の活力
3)組織目標達成のための協力(=労使関係)(95-6)

・今度の課題・問題
1)働きすぎ=家庭が犠牲に(96)
2)組織巨大化→73年の石油危機以後1)急速な拡大から急激な減量政策への転換により年齢構成が変化、2)年功序列に吸収できない管理職のポスト不足、3)人口高齢化と定年延長圧力(97-8)
3)能力主義強化と定年延長圧力
4)マクロ的要因:1)「もたれあい」の中でも技術革新が達成され続ける保証はない、2)なかま意識が業界内以上に広がらない、という問題あり

*あと、「提言」というのが続くけど……略

◆「科学技術の史的展開」研究グループ報告書
*あとの二巻は適当に……

・西欧近代文明・科学技術は、地球環境の危機という形で、限界を迎えている。
 よって、「ホロニック・パス」という新しいパラダイムが必要、なんだそうだ。

・西欧近代文明の限界は、要するに「量的拡大への障壁」である。
①文明社会における物質・エネルギーの消費拡大そのものに対する障壁
②生産設備規模の巨大化に伴う障壁」(552)
・だから「ホロニック・パス」は「質的拡大」を目指す。
 それは「情報化」である。
1)「単能な要素の高度化」=半導体など
2)「システム化」=工場のアセンブリーラインなど

・ホロニック・パスのコストの一つは、諸財の需要の多様化である。しかし市場経済の中でこれは解決される。
1)需要が供給をひき起こすことに変わりはないから【?】(561)
2)「多様化が生ずるのは、基本的には最終需要財であり、その生産における多様化は、産業用ロボットを含めての情報技術の進歩により、生産効率の低下をほとんど招くことなしに可能となっている、ということである。自動車の生産はまさにその好例であって、同一車種であっても、異なった色や内装、シートの車が一つのラインから次々と生産されていく状況は、現代産業の一つの典型的形態といえる」(562)

*「地球環境」とかいうのに議論の焦点があるので、「高付加価値産業」の議論は「環境にやさしい」というレベルでしか捉えられない。
結局、「高付加価値産業」も、「これまでの通り、工場でできるんだから、心配するな」というのが結論になっている。同時代に、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズが活動を初めていた状況と比べて考えると、面白いですね。はい。

◆「多元化社会の生活関心」研究グループ
一応、統計的な意識調査みたいで……なんか電波出まくりでよく分からないんだけど(笑)、要するに「中流意識が広がったのは良いことだ」と言いたいようだ。

……どうでしょう、結構面白そうでしょう?

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2006年4月 3日 (月)

『大平総理の政策研究会報告書』、自由民主党広報委員会出版局, 1980

最近、書類作成のような事務的な作業がたまっている。やりたくないけど、避けていると後で自分が損するんですよねえ……。

そしていきなりですが、戦後日本を語ろうと思ったら、この『大平総理の政策研究会報告書』を抜きで済ますことは絶対にできない。だが、私の同僚たちを含め、読んでいる人は意外に少ない。
現在の各種審議会へとつながっていくような、外部の学者たちを抱え込んで書かれたこの報告書。当時の著名な知識人が一同に会している感じ。というか、今でも論壇誌とかで見る名前がちらほら。

全部で9つの部会があったらしく、それぞれの報告書がある。9冊バラのもの(一般販売用?)と、全部が一冊にまとまっているもの(関係者配布用?)がある。どちらもとっくの昔に絶版だが、オンライン古書店などで比較的すぐ見つかります。はい。

「戦後安定社会」とか「1940年体制」とか「日本的福祉社会」とか、論者によっていろいろ名指しされている、たぶん70-80年代にかけて完成した、いわゆる「戦後日本」。今、そのほころびが各所で論じられているとすれば、もともとそれが何だったのかを考えなければならない。
私の知る限り、それを最も網羅的、かつ精密に描き出したのがこの本である。こういう議論を、「日本人論」とか、「日本の優越意識」とか、「伝統の創造」とかで斬るのは、たやすいけれど、あんまり意味がない。
この膨大な知性の集積が……どこまでも楽観的で、今となっては若干の居心地悪さなしに読めないものだが……、「総体として」何を意味していたのか。そういうことを考えないといけないと思う。
今回は久々の更新だから大仰ですね。はい。

一番面白いのは「文化の時代の経済運営」という巻で、これだけでも良いような気がするが、自分用の覚え書きをいろいろ書いておくことにする。

◆「文化の時代」研究グループ報告書
*第一巻で、全体概観に相当するもの。主な論点:

・西欧を後追いする時代は終わり、日本は自己の伝統を否定する明治以来の状態から脱却すべきである
・高度成長で経済大国になった。世界の工場となり、豊かな消費生活を満喫するようになった。
→しかし「ゆとり」が乏しい(39)
→今後は他の先進国同様、低成長に移行せざるを得ない。
 「低成長の背景となる資源・エネルギーや環境の制約は、これまでの生産拡張第一主義に代り、第三次産業や公共部門でもより文化的な分野への投資の比重を増加せざるを得ないであろう。これは労働力の配分についても同じである。また何よりも低成長のもとで人々の生活時間の(39)設計も変化し、文化的な充足に対する欲求はむしろ高まっていくことになろう。
 このように考えれば、低成長のもとでも、むしろ低成長なるがゆえに文化の発展の潜在的可能性はよりいっそう高まるのである。【中略】われわれは工業化至上主義、経済中心主義の段階をすでに七〇年代に卒業したのであり、今後の日本は成熟した市場社会にふさわしい「文化の時代」を生きていくことになるであろう」(40)。

*要するに、がむしゃら高度成長への反省が、低成長をむしろ「ゆとり」の好機とする評価につながっている。そこでは、当然ながら、高度成長の達成したもの……高所得・治安の良さ・高い平等……などが、根元から崩れる可能性が考慮されることはない。
二度の石油危機の影響が軽度に済んだ、と言えば、それまでなのかも知れませんが……。そこをスルーしたことの影響がいかに甚大だったかは、我々が日々いろいろな話題で目にしている通りなのである。

◆「田園都市構想」研究グループ報告書
*第二巻。上のような時代認識に基づいた、都市計画についていろいろ書かれている。おそらくニュータウンとかの源流の一つ、なんじゃなんですか。

・明治維新から100年、またGNPが米に次いで世界二位になった今、追いつき型近代化の目標が終焉している。
 そこで再評価されるのが、田園都市構想である。「それは、近代文明とそこにおける豊かさの質を問い直し、人間生活の目標とあり方を再検討し、国家システムの再編成をめざす、超近代の動きの重要な一環にほかならない」(91)。

*「超近代」なので、当然(?)農村とかが焦点になる。
総じて、「都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力を」という、良いとこ獲り戦略が提唱される。

・農山漁村は日本人全体の「ふるさと」だが、近代化・産業化・高度成長の中で生活様式が変貌。
  →田園的な農業生産と都市的な消費生活が、混在してしまうようになった。両者を分離し、緑あふれる余暇・教育・文化・健康の場としての農村と、それをつなぐ場としての都市の機能を明確にさせねばならない。
・そのために、「多極重層構造をなす都市・農山漁村を結合する交通ネットワーク」の整備を全国的に推進せよ、とする。

*……んだけど、単純に、「緑とか農業とか」と、「都市的な消費生活」が「混在」していると何がいけないのか、よく分からない。
 あと、その「結合する交通ネットワーク」の整備が行き過ぎるくらい充実した結果、「入れ替え可能性」が高まったというのもあるだろう。

*続く、地方地方の愛着と帰属感を醸成するための「文化施設建設」とか、環境主義=「人間と自然の調和をめざす国づくり」とか、ありがちな話はまあいいとして……(こういうのもいちいち「脱近代」という時代認識を背景にしていること、その背景にはかなり多幸症的な現状認識があったことは覚えておく必要がある)
 ……この間までここでいろいろ言っていた、産業の構造転換についても、同じ論理が適用されているのが面白い。

・中小企業の台頭・経済のサービス化・需要の高度化・ソフト産業・クォリティ産業・先端技術産業などは「地域産業の発展」をもたらすものである(138)。「これらが、個性ある地域産業として多彩に発展していくことによって、各地域社会を経済的に支える質の高い雇用機会と所得水準の提供が可能になっていくのである」(143)
・「地場産業都市構造」、「工芸コミュニティ・モデル都市構想」を推進せよ(143)。地域の風土に合った伝承技能と、先端技術・デザインを結合してクォリティ商品を作れ(144)

*要するに、「地域の多様性」が、すなわち「新しい高付加価値産業」を生み、もって地域格差の是正要因になるだろう、ということだ。それが実現されたとは到底言えそうなのはもちろんだし、そこで選出される「高付加価値産業」が、「地元工芸」のようなものであることは、今考えれば驚くべきことだろう。
 その一方でハイテクについても言及があるのだが、

・ハイテク・省資源産業は「クリーンな環境」がいる。シリコン・バレーも「文字どおり公園と呼ぶべき環境のなかにクリーンな半導体生産工場が散在し、世界の最先端技術を開発し、活気にあふれている」(146)

*……と、なぜか「自然」に注目が寄せられる。見るのそこかよ。

*総じて、この著者たちは、人間関係の潤いを失ったかに見える「都市」の外部を希求しているのであり、それが「超近代」的な(笑)「農村」「自然」の復権あるいは再組み込みという思考へつながっている。

◆「家庭基盤充実」グループの提言
*以下三巻は、私があまりよく理解できないのもあるが、あまり面白くないので簡略に。

*特にこの「家庭基盤充実」グループは、意味不明な楽観と伝統回帰意識の合成みたい。というか似たようなことを言っているが、今でも多い気がしますけど……。

・欧米より、犯罪・離婚は低く、祖父母同居率・あたたかい人間関係は高い。この延長で「脱工業化社会への転換」を行えば「ひとつの先進的経験」になりえる(185)
・間柄文化による仲人制度と見合結婚が離婚率の低さに貢献している(199)
・親子同居の多さは「日本人の親子観ないし内面的道徳を反映している」(208)

◆「総合安全保障」研究グループ報告書 301-344
・没落した米をもう頼りにしない。また今は防衛として最低限の軍事力もないから整備せよ、と

◆「環太平洋連帯」研究グループ報告書 345-394
・ガット・IMF体制が動揺している現在にあって、自由で開かれた経済システムを維持し相互依存関係を強めよう

 ……という訳で、一番面白い「文化の時代の経済運営」はじめ、後半は次回また、ということに……。

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