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2006年4月 7日 (金)

続・『大平総理の政策研究会報告書』

『不安型ナショナリズムの時代』ですが、もう書店に並んでいるみたいです。
はい、宣伝です。ヒソヒソ

そして前回の続きで、『大平総理の政策研究会報告書』についていろいろ。
この報告書についても、ものすごく短くですが、本の最初に書いています。

◆「対外経済政策」研究グループ報告書 395-435

*ここでは、まず、二つの目標が提示される。
①市場経済の秩序維持
②南北問題の解決
それぞれ見てみると、

 ①市場経済の秩序維持
・自由主義経済の弊害:
1)景気変動や失業の発生、分配の平等化、独占への傾向と国家産業の癒着
 具体的には、先進諸国のスタグフレーション傾向、南北の所得格差の拡大、独占的行動の世界的拡がり、である
2-1)環境汚染や公害激化、2-2)途上国の貧困
3)米の優位低下→無秩序・混乱→巨大になった日本経済の国際的役割が大きくなった

*この時代、「格差」というのはすなわち「南北問題」のことであり、今現在広く論じられているような、国内におけるそれではまったくない。そのうえで……

 ②南北問題
・日本はまだ発展から日が浅いので途上国の現状を理解できる&脱却のノウハウがある

*という訳で、要は①でも②でも日本が重要だと言っている。日本の経験が、先進国向けには「先進病の回避」、途上国向けには「離陸のモデル」として、世界のほぼすべての問題に対する解決策を提示するキーになり得る、という訳だ。
 今考えれば明らかに、自国内の問題に対するただの脳天気なのだが……一面では、「だからこそ責任感を持って将来ビジョンを語らねばならない」という切実さも持たれていたのである。

 それはともかく、具体的な提言はと言えば……
・「国際分業に合致した国際協調を進める上で、産業構造の変革を行うとともに生活スタイルを変化させることに対応する。これは、一方では貿易その他からの利益を享受するとともに、他方ではそのコストを、国内経済条件の場合によってはかなり苦しい調整の形で、払わなければならない状態を招来するであろう。
 ところで、このコスト負担は、国際関係の変化から直接影響を受ける当事者のみならず、国民各層が広く分かち合う必要があると考える。この必要をみたす政策や制度のあり方を、「福祉国家」への道とか、公共部門の役割の新しい出現とかいうことが出来よう。自由主義原則の基本的骨格は維持しながら、その弾力的運営を漸進的な政策や制度の変革の下で行おうとする、この種の試み……」(407)

*産業構造の変革が、なんで福祉国家への道なのか、まったく分からない。今の言葉で言う「構造改革とその痛み」が、なんで「福祉国家への道」なんだろう?
 一応読み取れるのは、……要するに、大きくなりすぎた日本の比較優位による国際分業のコストを積極的に負担せよ、ということ。そのコストというのは……
1)対途上国(援助)・そのからみでエネルギー問題(416)
2)貿易摩擦の回避
 なのである。「途上国援助」と「貿易摩擦回避」。市場開放・流通改革・公共機関の民営化なども、この文脈でのみ論じられている。今の「構造改革」と違って、「途上国を助ける」ことと、「アメリカからの文句をかわす」ことに(のみ)主眼があった。こういう中で、抜け落ちていった話とは何だったのか。いちいち検証する作業がやっぱり必要だと思うのです。はい。

 これらすべての背景を成しているのは、オイルショックであり……

・失業などの問題は石油ショックによる世界不況に対してのパフォーマンスに還元される。英・伊は負け、西独・日は勝ち。「経済のファンダメンタルズが強固」だったから(430-3)

 だ、そうである。

◆「文化の時代の経済運営」研究グループ報告書(この報告書だけ、頁数はバラ売りバージョンのもの)

前回書いたように、この報告書がこの研究会全体のキモです。
「文化の時代」。私は、この提言の内容は、日本の社会意識として、今でも色濃く残っていると思いますね。たとえば今、「ニートとかフリーターとかがどうのこうの」とか「ホリエモンとかヒルズ族がどうのこうの」とかいう形で語られている問題に違和感があるとすれば、まずこの研究会の知見と引き合わせてみるのが良いと思う。身近に敵を作って批判すれば済む問題ではなく……敵はかなりでかい(笑)ということが分かる、ような気がする。

*主な時代認識は、「目標とすべき欧米モデルにはもう追いついた」というもの。

・「今日、日本社会が、近代化・産業化を成し遂げ、最も先進的な産業社会となったなかで、日本人にとって「近代」とは、もはや志向すべき目標ではなくなったのである。日本人の価値観を測るための新しい次元が、検討されなければならない。それは、「西欧的なものの見方」に対し、「日本的なものの見方」という軸を採用することでもあろう。それは、日本社会が伝統的にはぐくんできたあたたかい人間関係や人間と自然との調和を重視する日本的価値観の見直しにもつながるものである」(16)

・「文化の時代」=「かつてない自由と経済的豊かさは、これまでの物質文明や近代合理主義の下で、ともすれば見過ごされがちであった人間の精神的・文化的側面への反省を促し、より高度な人間的欲求を目覚めさせるに至った。いまや人々は、物質的・経済的豊かさにとどまらず、さらに、生活の質の向上、人(25)間と自然との調和、人と人との心の触れ合いや生きがいなど、精神的・文化的豊かさを強く求めるようになった」(26)
→それぞれの国民にはそれぞれの文化的特質があり、尊重されねばならない
→「われわれは、急速な近代化や高度経済成長を可能にした日本の文化を検討するとき、そこに多くの優れた特質を再発見した。それらの多くは、西欧社会が市民革命、産業革命以来の「個」の確立を目指した近代化300年の歴史のうちに、もろもろのいわゆる文(30)明病や孤独な個の窮状に遭遇し、「全体と個の関係」や「個と個の間柄」を見直し、「全体子(holon)」という概念を求めている最近の方向にも沿うものであろう」(31)

*そして全体として……「近代」の行き着く先の病理としての「個人主義」を回避する形で、日本が世界から脅威と見なされるぐらい経済発展を成し遂げたという、「近代の超克」が語られる。

*では、日本の高度成長とは何か。心理面としては、「仕事における会社」と「活発な消費」が重要だった。これら自体には何の問題もないが、残る問題としては、「生きがい」を持てない人が多いことがある、らしい。

・「高度産業化を支えた社会心理」
1)「会社中心主義」と「生産中心主義」
2)個別化と即自化(生産に拘束されきらない自由、ゆとり、レジャー)
3)価値観の変化=「消費のスタイル」が新たな基準になった。
 しかし他方で、移ろい行く流行などでは自己形成ができないという不安が、「生きがい」希求を強めてもいく。

*制度面としては、自由市場に任せるのでもなく、政府が「計画」するのでもなく、政府は金融政策と「行政指導」に留まり、あくまでも企業間の競争の中で成長が拡大していったことが重要、とされる。

・戦後の高度成長の「制度的基盤」
1)「民間経済部門の急速な拡大」によるのであり、財政はそれが調整しえない部分の部分的調整役に過ぎなかった。これが民間投資を促進し、積極的な拡張経営を有利にし、企業間競争と企業努力を促進し、「成長促進的な構造」を形成した(69-70)
2)「金融市場における統制」=1)「資金の国際的な流れを遮断」、2)「人為的低金利政策によって信用割当てを行い、基幹産業と輸出産業に資金を重点的に配分した(70)
3)70年前後からの制約=1)海外からの抵抗増大=外国為替管理の統制が困難に、2)財政赤字の拡大と国債の大量発行(71)
・政府と計画と行政指導の役割は目標設定であって、達成のために直接的手段を用いたことはほとんどなかった。
・問題は、業界内の不公平忌避と横並びの取り扱いのため「行政指導の枠組みの中で、生産や販売の拡大を目指し、かえって激しい「過当競争」が生じる傾向がみられる」こと(73)

*心理的・制度的両面で、日本の達成したこれらの点はすなわち、「間柄文化」という日本の特殊な文化的土壌が、「個人主義」という「文明病」の回避を可能にしたことを意味している。

・「欧米先進諸国における市民革命・産業革命以降の「近代化の時代」は、「個人主義の時代」ともいわれるように、政治的にも経済的にも社会的にも、「個」の確立を目指した時代であった」=「個人主義(individualism)」
・「厳しい「個」の確立の要請は、機会の」「平等」の下に、絶えざる「自己主張」と厳しい「個人競争」の「自由」を結果し」た。「しかし、近年に至り、欧米先進諸国が高度産業社会として成熟してくると、その中で、かつて近代化を支えた「個」は、「孤独な個」、「疎外された個」となり、「全体」の前に無力化して、逆に社会の活力を低下させる大きな要因ともなった。即ち、「文明病」の発生である」(75)

・日本も欧米を模倣し個の確立を目指したが、「日本の文化的風土」が大きく影響した
 =「「間柄」の重視と、個の競争より「社縁」「なかま」→「「人間」を中心に据えた経済運営」(76)

*これが日本の「ポストモダン」であり、ポストモダンというと通常想起される消費論だけじゃなくて、「会社主義」とか「日本的経営」というのもポストモダンだったこと、そこには「近代の超克」という意識が如実に込められていたことも覚えておくべきだろう。
 蛇足だけど付け加えれば、「消費に踊って仕事しない」というのが前者の意味の「ポストモダン」の再検討を要請するとすれば、「会社主義の崩壊と副作用」とかいうのが露呈しているのも「ポストモダン」の再検討を要請するのである。
 その片方だけを批判して、すべての問題の責を負わせようとしても、意味がないし面白くない。たとえば若者論と団塊世代論が共につまらないのは、そういうことだと思うし、「消費に踊る若者に対し、正社員になるよう訓練を」という提言が胡散臭いのも、そういうことだと思う。
 結局は、巨視的な文脈としての「バブルの再評価」みたいな所に行かざるを得ない。というか最近の議論の流れは、もうそうなってると思いますけどね。はい。

・日本の雇用特性=長期安定雇用と年功序列賃金
1)中核と周辺の二重構造と下請制
 環境変動への対応は、一般的に4種。1)余剰労働力の切捨てや新規雇い入れ、2)定員を低めに抑えて就業時間で調整、3)長期安定雇用の中核とクッションとしての周辺という二重構造、4)組織外には下請制をクッション。
 日本の場合、欧米型の1はとらず2-4を取った。
2)組織原理=欧米型でリーダーのパワーによる統合の「トリー構造」【ママ】ではなく「リゾーム構造」=「間柄」「なかま」として「なんとなく「総合」されている」(82)
3)勤労者の意識の組合=企業への不利益になる場合にはみずからの賃上げを要求しないし、そういう判断力と企業へのインセンティヴがある。
 「日本では、勤労者がおおむね25才を過ぎると、その暮らしのほとんどが企業内にビルト・インされてしまう。勤労者は、自分の生活や社会的評価、家族の満足度などが、自分の属する企業の先行きと密接に関係していることをよく知っている」(85)
4)日本型市場経済と競争=欧米の「個人競争」に対する「集団競争」。欧米では「公正かつ自由な競争」がないと言われ日本では「過当競争」と言われるのもこの違いによる。「機会の自由」の確保による個人競争の自由の欧米に対し、日本では「なかま」集団【内】の競争なので「分相応」が大事になる(89)。「分を過ぎた分け前」要求は「なかまはずれ」として追求される=日本的公正は「結果における平等」(90)。
 つまりルールを守れば自由競争の「フェア・プレイ」に対する「フェア・シェア」=「最適な分配方法」(90)

*……「クッションとしての周辺」を置くことで「中核」を守るという「二重構造」が、(「なかま意識」を育むというのはともかく)「公正かつ自由な競争」「最適な分配方法」につながる、という思考回路は、まったく理解ができない。
私が、「日本的経営の堅固な雇用を復活せよ」という提言に、ことごとく違和感を覚えるのは、そういう話を聞くとこの一節を思い出すからでもある。

*そんで、その利点と欠点が共に挙げられるけど、そのうち利点の部分では今では冗談・反語にしかならないのに対し、欠点は「全部その通りになった」という……。

・日本的経営の活力:
1)長期・年功制により昇進に対する強い願望と競争意識(=インセンティヴ確保)
2)組織巨大化による硬直化を防ぎ小集団間競争の活力
3)組織目標達成のための協力(=労使関係)(95-6)

・今度の課題・問題
1)働きすぎ=家庭が犠牲に(96)
2)組織巨大化→73年の石油危機以後1)急速な拡大から急激な減量政策への転換により年齢構成が変化、2)年功序列に吸収できない管理職のポスト不足、3)人口高齢化と定年延長圧力(97-8)
3)能力主義強化と定年延長圧力
4)マクロ的要因:1)「もたれあい」の中でも技術革新が達成され続ける保証はない、2)なかま意識が業界内以上に広がらない、という問題あり

*あと、「提言」というのが続くけど……略

◆「科学技術の史的展開」研究グループ報告書
*あとの二巻は適当に……

・西欧近代文明・科学技術は、地球環境の危機という形で、限界を迎えている。
 よって、「ホロニック・パス」という新しいパラダイムが必要、なんだそうだ。

・西欧近代文明の限界は、要するに「量的拡大への障壁」である。
①文明社会における物質・エネルギーの消費拡大そのものに対する障壁
②生産設備規模の巨大化に伴う障壁」(552)
・だから「ホロニック・パス」は「質的拡大」を目指す。
 それは「情報化」である。
1)「単能な要素の高度化」=半導体など
2)「システム化」=工場のアセンブリーラインなど

・ホロニック・パスのコストの一つは、諸財の需要の多様化である。しかし市場経済の中でこれは解決される。
1)需要が供給をひき起こすことに変わりはないから【?】(561)
2)「多様化が生ずるのは、基本的には最終需要財であり、その生産における多様化は、産業用ロボットを含めての情報技術の進歩により、生産効率の低下をほとんど招くことなしに可能となっている、ということである。自動車の生産はまさにその好例であって、同一車種であっても、異なった色や内装、シートの車が一つのラインから次々と生産されていく状況は、現代産業の一つの典型的形態といえる」(562)

*「地球環境」とかいうのに議論の焦点があるので、「高付加価値産業」の議論は「環境にやさしい」というレベルでしか捉えられない。
結局、「高付加価値産業」も、「これまでの通り、工場でできるんだから、心配するな」というのが結論になっている。同時代に、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズが活動を初めていた状況と比べて考えると、面白いですね。はい。

◆「多元化社会の生活関心」研究グループ
一応、統計的な意識調査みたいで……なんか電波出まくりでよく分からないんだけど(笑)、要するに「中流意識が広がったのは良いことだ」と言いたいようだ。

……どうでしょう、結構面白そうでしょう?

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