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2006年10月 9日 (月)

アメリカ産の学者が多いこと

最近東アジアでいろいろ話題が多いが、こっちでネットとか見てると、「保守」的な言動が本当にどんどん多くなってる。「保守」と「革新」は韓国独特の文脈がいろいろあって、日本のイメージとは全然違うんだけど……まあまだよく整理できないので、追い追いに。

土曜日は例によってイ・ソンウに誘われてホンデにいたが、その席に例の映画の主演俳優、パク・チャンフン氏がいてびっくりした。紹介してもらってうれしかったですけど……話すことねえよ……。

ところで。
せっかく来たので、この一月ほどの間にいろいろ授業へ出たりしてみたのですが……ソウル大の教授の多くはアメリカで学位取得した人である。そういう人が余りにも少ない日本から見てると「国際化されてて良い」ということになるのかもしれないが、なんかその副作用ばっかりが目に付く。

こういうのはどこまで一般化して良いのか分かりませんが、実際あったこととして……
ある教授の授業で、その人が英文ジャーナルに発表した論文を読まされたのですが、要するに、近年の韓国では自殺が余りにも多いと。自殺といえばデュルケームで、彼は「アノミー的自殺」を強調した。しかし公開されている統計資料から、自殺動機を析出してみると、韓国では「アノミー的自殺」がごく少数派に過ぎないことが分かった。これは自殺をめぐる社会理論に対する大きな貢献である。みたいな。

100年前に書かれたデュルケームの理論を、そのまま「検証」しよう、という発想そのものが理解できない。統計処理だけはやたら綿密にやるんですが……。
現在の自殺って言えば、普通「IMF改革以後の社会変動」とか考えるだろ……だがそういうことは文字通り一言も出てこないのである。

こういう人は、学部修了後にすぐアメリカへ行き、そのまま何十年か帰らないで、凱旋帰国してソウル大とかで教えているのだが……その間、韓国の空気感みたいのから遊離している意味では外国人と全然変わらないし、たぶん最初からそこに接近しようという意志もない。むしろそれが「学術」の役割だと思っているようだけど……だからこそ問題関心は抽象的な「理論」に「ならざるを得ない」んだろうなという感じ。
そんで一体何の意味があるのかまったく分からない「理論的な仮説」を練り出して(というか欧米理論から借りてきて)、それを「実証的に検証」したりしている論文が、国内でも英語でたくさん発行されている。

チョハン・ヘジョンみたいな人が、以前から「知の生産とコロニアリズム」とか言ってて、何のことか全然ピンと来なかったんだけど(そういう人々と接点がなかったし)、こっち来てみると「ああー『コロニアル知識人』ってこういう人のことね」と思うことがしばしばある。もちろん全部じゃないけど、そういう人がたくさんいるのは確か。まあそのこと自体に韓国の歴史的文脈があることも考えないといけないんでしょうけど……
でもとにかく、アメリカ学位取得とか、英語化とか、「国際化」とか、別に韓国の例を引くまでもなく当たり前のことだけど「やりゃ良いってもんじゃない」という話。

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