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2006年11月21日 (火)

二元的政治

私が日本にいる時と大差ない人付き合いをしていると仮定すれば、韓国で日常的に政治の話をする機会は、日本よりもよっぽど少ない。数少ない私の友人(笑)は、日本でも大学関係者か文化関係者が多いから、それほど大きくは変わらないと思うんですけどね。
こっちに来て、人文社会系の大学院生同士でも、そんな話をまったくしないのは、ある意味ショックだった。ここ数年で雰囲気がだいぶ変わった結果だと言う人もいますけども。

だから政治の動向とかいうのは、ほぼマスメディアを通してしか「実感」できない。
そんでそのマスメディアは、日本の「保革」のイメージよりも、さらにはっきりとした「保守/進歩」の色分けがある。国会もそうだけど。
見てると、そもそもこっちで言う政治というのは、「すべての論点が保守と革新の二極に分化され、両陣営がお互いをけなし合うこと」なんじゃないかと思うくらい。

もし誰か(e.g.若者)が「政治には興味がない」と言ったとすれば、それは主に「そういう定型化した党派争いに生産性を見出すことができない」という意味なんだと思う。単純な社会からの退引というよりも。日本でも党派争いはあるが、はるかに細分化というかタコツボ化されている気がする。どちらにしろ、私はあまりそういう党派に興味がないんですが……。

加えて言えば、日本を単純に「総保守社会」とか言う人がこっちで多いのは、「政治」に対してこのイメージを持っていることが一因だと思う。「保守政党」の自民党が(ほんの一時期を除いて)長期政権になっていれば、その時点で自動的に、ある種の危険な「総保守社会」というイメージが導き出されるんだろう。日本も確かにいろいろ変だが、こっちのよくある見方に共感するのも難しい。

ここで少々横に逸れますが、私を含めて多くの人は、新聞をインターネットで読んでいると思う。インターネット新聞にもいろいろあって、追い追い書ければ良いなと思いますが……とりあえず全国紙の購読層でも紙じゃなくてネットで見ている人が、ある程度の年齢以下では多くを占めると思う。
週刊誌というのは、主に新聞社が出しているので、クダンの「二元的政治」がもうちょっと詳細に展開される場になっている。論壇誌みたいのは、あるにはあるけど、誇張抜きに読んだという話をただの一度も聞いたことがない(再度大学院生含む)。「月刊東亜」とか、一応コンビニにも置いてあるんだが、あれ誰が読んでるんだろう。物価に比してものすごい高いし。

個人的に、ディスプレイ上で長い文章を読むのに慣れていない私は、正直ちょっと辛いです。
それはともかく、サーバーが堅強なのか、すごい昔の記事まで全部データ化されているんだが、やはり基本的にみんな流れの先頭しか見ないので……次々新しい話題が出て、まさしく「三ヶ月前のことは誰も覚えていない」感じ。
何か「この話題について掘り下げて調べようかな」と思ったら、一応できるようにはなっているが、そんな人は万に一人くらいしかいないだろう。ロングテールですね(笑)。この意味に限って言うと、ここはジェイムソン的な「歴史なき社会」なんだなあ、などと思うことがしばしばある。

そんで話を戻すと、例えば9月にタイでクーデターが起きたら、ジャーナリストとか大学教授とか、それなりに責任ある立場の保守系の人が「韓国でも、現状では左翼政権を倒すにはクーデターも視野に入れるべきかもしれない」とか言うんですね。そんでネット上ではもっと過激に「盧武鉉政権にクーデターを起こそう」とかいう話になって。
それに対して、「保守派はやはり(クーデターで政権奪取した)朴正熙の亡霊から逃れられないのだ」とか言い返して、そういう下らないやりとりをいちいち「ネチズンの動向」とか言ってそれぞれの新聞も取り上げて、党派争いの具に使って……そして数ヶ月経った今では、そんなやり取りがあったこと自体を誰も覚えていないという。外国報道すらもいちいちそんな感じ。
(以上の点はハンギョレのwnetwork.hani.co.kr/phosarang/2857とか参照)

そんで、こういう定型化・二元化した党派争いは、どこでも必ず、どちらの側にも語られないままの「先験的な前提条件」とか、社会的にタブー化されていて語りにくい問題の「代替化機能」とか、そういうのがあると思うんですが、それが何かはまだよく整理できないです。はい。

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