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2007年1月29日 (月)

韓国の革新系メディアの「下品」な対外報道

なんか私生活上の問題がいろいろ出てきて、テンション下がり気味の1月末。

こっちでは今、「ヨウコの話」という本の話が結構盛り上がっている。元々英語圏で出版された、韓国からの日本人引揚者の苦労を自伝的に書いたものらしく、韓国人による日本人へのレイプなどの内容があると。
出版そのものは数年前のことらしいんだが、それがアメリカの中学校か何かの教科書に使われたことから話題がヒートアップして、ものすごいバッシングが起こっている(いつもそうだけど、うろおぼえで適当に書いているので、詳細は皆様でお調べ下さい)。
「アメリカ人の子供に韓国について間違ったイメージを与える」「そんなことある訳ない」「日本人の方がよっぽど悪いことしたのになぜそれを書かない」「歴史歪曲だ」云々。

マスメディアの中で、そのバッシングを最も熱心に行っているのが、ハンギョレ新聞。韓国の全国紙の中で唯一の「革新系メディア」であり、日本でもよく韓国の新聞界の「唯一の良心」みたいな言われ方をする。だけど、この件でも……

例えば『レイプ・オブ・南京』が出た時に、日本で、著者の細かいプロフィールを根掘り葉掘り書いて個人攻撃するとか、「結局中国系はこうだからダメだ」的な一種の人種主義的解釈とか、私の価値観で言えば「下品」な論評をものすごい積極的にやっていたのは、保守論壇誌だった。
そんで韓国では……こと対外問題に関して言えば、そういう日本の保守論壇誌的な(?)「下品さ」に対応するものは、どう見ても革新系のメディアに多い。もはや単なる著者への憎悪としか思えないことを、「正義の鉄槌」とでも言わんばかりに延々と書いている。

例えば北朝鮮の核ミサイル実験の時も、「この核実験で一番得をしたのは、日本の極右政権とアメリカの軍事偏重政権である」とか、コラムじゃなくて記事の地の文に平気で書いていたのが、ハンギョレ新聞。
歴史問題になると保守メディアでも同じようなものなのだが、保守派メディアは、現政権周辺に強い反米・反日主義を批判したいだけだからにせよ、対外報道については「比較的マシ」な気がする。代わりに国内の盧武鉉政権について、ひたすら「下品」なことを書いている。また機会があれば追い追いに。

いちいち微細な事実をより集めて、本の内容に相当するようなことが「あった」「なかった」という話には、他の話題と同様に、個人的には全然興味がない。でも「何で『革新』の理念がこういう方向に行くんだろう」というのはもうちょっと考えた方がいいなあ、とかぼんやり考えている。『不安型ナショナリズムの時代』で書いた「玉突きモデル」ですね。

そういういろいろを、「植民地と被植民地の違い」だけで全部説明することができた時代は、もうとっくに終わったんだと思う。こっちではその路線に乗って発言してる人のものが、ハンギョレ新聞へ毎日のように翻訳されているんですけれども(笑)……この論理は「比較」という視点を拒否するものであり、現在の日韓中がそれぞれの自発性をもった、対等なパートナーであるならば、有効な分野はかなり限定されると思うんですけどね。

そういう日本人の論者が、「良心的日本人」としてこっちで持ち上げられてたりする現状は、内実のある対話を妨害しているとしか思えない。そういうことを表立って言っても、日本の文脈では「おれ自身が保守化してる」としか思われないんだろうし、逆側の全然関係ない人に「味方」とか誤解されもしそうだし、どうすればいいんでしょうね。本当。

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2007年1月25日 (木)

「この3年間、韓国の経済成長率は世界平均にも届かなかった」週間朝鮮9月11日号

前回のエントリは、他者攻撃をし過ぎた感じがある。かっとなってやった。今は反省している。
さて更新をさぼってたので、その間に読んだものとかいろいろ書いていこうと思っていてですね。その1。

韓国は不景気の真っ最中なので、特に経済系では暗いニュースが多いです。しかしこういうニュースも、客観性のあんまないものが多く、きれいに政治的色分けに沿って報道される。保守系メディアは(この週刊誌もそう)、結局の所「盧武鉉がダメだ」と言いたいだけで、文句のネタに経済問題を使っているだけの場合が多い。

そういうのは割とどうでもいいんですが……なんか普通に人と話してても、「先進国にならないといけない」みたいな話がすごく多いんですね。まだ韓国は先進国じゃないという。
この記事は韓国の構造的不況が長期化していて云々というものなのですが、「専門家たちは、韓国が『中進国病』にかかっているのが根本原因と見ている」と。

-ソ・ウンデ・ソウル大教授教授:「投資心理と消費心理の萎縮、自分の分け前のみ求める利益集団の欲求噴出、諸経済主体の間の葛藤など、所得1万ドル水準に至った時の中進国病が韓国に現れている」
-「中進国のジレンマは、国内的要因だけでなく、国際的な要因が同時に作用して発生する。中進国は先進国と後進国から同時に挟撃される位置におり、賢明に対処すれば先進国へ上ることになるが、そうでなければ後進国へまた転落する」

-他の東アジア諸国より成長率が鈍化していることを挙げて:「これは、『朴正熙式成長モデル』で40余年間やってきたが、今ではそれが限界に来たことの証拠だ。新しいモデルがが切実に求められる時期だ」
-イ・ジェミン延世大教授:「この40余年間、韓国経済は4回の契機があったが、3回目では新しい成長動力を見つけて高度成長につながった。しかし最後にやってきたIMF外貨危機は、いまだ新しい成長動力を見つけることができず、低成長と両極化構造が固着化されているようだ」

-「専門家たちは、過去の韓国経済の長所だった活力を取り戻すためには、諸経済主体にリスク(危機)を甘受させるべく、関連制度を整備する必要があると主張する。しかし現代韓国社会は、敗北主義に陥っているという分析が支配的だ」
-チャン・ジェチョル・サムソン経済研究所主席研究員:「外貨危機に遭った後の韓国社会では、『高リスク-高収益』モデルがタブーとされており」「さらに大きな夢を追求しようとするならば、冒険精神を取り戻さなければならない」

後、勤労者の労働意欲も低下している云々。そんで最後は、盧武鉉大統領の分配重視政策を批判して、分配と成長のバランスを考えろと。

こちらでは盧武鉉現政権(左派)に対し、保守派が「企業規制を緩めろ」と主張する光景がしばしば見られる。成果主義とかいうのも、保守派が推奨して、左派は反対と、結構はっきりしている。保守派が過去の総中間層社会にシンパシーを抱いている日本と、ちょっとイメージが違う。
でも、上の記事にもある「成長の原動力」というのが、結局サムソンを初めとする財閥企業しかないから、「企業規制を緩めろ」というのは、結局「財閥支配の弊害とか言ってても仕方なくて、それが韓国式の経済システムなんだからそこをどんどん伸ばさないと」というメッセージと紙一重(この記事は割と違うこと言ってるんだけど)。なので実は日本とやっぱり似ている。

日本と一番違う点は、韓国では労組が強いこと。
私から見てもしょうもないデモをして「成果給として約束したものは全員に払え」とか、訳の分からん要求をしている。ついでに、「労組のせいで使えない年長社員が解雇されないから、おれたちには契約社員の口しかない」みたいな不満も、結構広がっている。
反労組というのも保守派の昔からの主張の一つなんだけど、今は社会全体がそこに同調していっている感じ。それ自体は、はっきり言ってしょうがないと思う。労組とそれに共感する左派は、保守派の主張にドライブを提供するようなことばっかり言ったりやったりしてるから。

日本でも類似のことはあると思うけど、姜尚中の言う「ニューエコノミーと旧体制の野合」というのは、韓国ではかなりあからさまに、目に見えるものになっている。
そういう状況の中だと、旧体制に含まれていた「身分差別」みたいの――「正社員/非正社員」区別とか――に対する、「それはしょうがない」という開き直りの態度を育むと同時に、ニューエコノミー的な「無限競争」とか「自己責任」とかいう原理が、「保護される身分に何とかすべり込もう」という欲求と、ねじれて結合することになる。たぶんその二つは、本来は対照項のはずだと思うんだけど。
いずれにせよ、「保護される身分」のパイはどんどん少なくなっていくから、かなりの人は志願しても入れないのが目に見えてるんだけどね……という、その点は本当に日本と同じことが、こっちでも起きてるなあという気がすごくする。また追い追いに。

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2007年1月22日 (月)

韓国の大学院と社会学についての雑感(というか愚痴)

風邪が治らなくて、延々ずっと体が本調子でない。そろそろ病院行かなきゃダメかも。

私はソウル大学院の言論情報学科という所の交換留学生ということになっている。
しかし……ここには本当に失望した。基本的に英語の古典理論を読むというのが重視されていて、韓国の近代史を教えたりしてる人はすごくマイノリティ(その韓国の近代史も大体英語の資料なんだけど)、という話は前にしましたが……。

こっちでは社会学のヴァリエーションが少なくて、要するに官僚と一緒になって政策立案する人――大体統計を使う「実証派」――と、「それ以外」という感じ。
政治学だったら、東大社会科学研究所みたいなことやってる人も、いるにはいるんだが。

そんで「それ以外」は、まとめて「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれている。日本で言う、ポストモダンも、記号論も、消費社会論も、何もかも「カルチュラル・スタディーズ」として90年代初頭くらいに流入してきた経緯もあって。

問題なのは、この両者が本当にどっちもどっちでですね……
今、若年失業にまつわる研究会というのに参加させてもらっているのだが、「実証派」の人の発表は、教授でも本当に目を見張るぐらい適当で、明らかに当人の脳内の前提条件を多数放置したまま、数字を並べて「対策=政策立案」するのが「実証」とされている。
そうなると容易に予想できる(?)ように、こういう話から出てくる「対策」はほぼ結局、「意識調査」を使って、「若者自身の意識にどういう問題があるか」という問いを立て、「彼らの意識を変えるためにはどうしたらいいか」という話になる。
産業構造の変動とか、中国の台頭とか、IMFの影響とか、そういうことについては「これ実証研究なんで関係ないです」とか「具体的に提言しないと意味がないんで」とか言われて済まされる。びっくりです。

ある先生にそれを話したら、「まあ韓国は、余り深く考え込まないで、どんどん実行に移してきちゃったからこそ、こんだけ早く発展した国ですからね」と言っていたが……
まあそれはそうなんでしょうけども、日本では「もっと実証しろ」という掛け声に一定の妥当性があるが、こちらではむしろ逆で「もっと社会理論とか勉強した方がいいと思うんだけどなあ」という感じ。

そんで後者の非実証派?=「それ以外」なんですが、問題その一は、(カルスタ・ポスコロの全盛期を知らない人には分からないと思うが)スピヴァクとかホミ・バーバとかを今ごろ一生懸命読んでる人――というか読ませる教授――が結構いるんですね。もっとひどいと、ドゥルーズとか読んでる。
別に読むのは構わないですが、そういう話が分不相応に流行した後、結局何も生み出さなかった現場をリアルタイムで見てきた身としては、かなり辛い。

しかも、そういう話を読んだ後、学生の関心が「韓国のナショナリズムとか同質性とか云々」に向く例はほぼ皆無で、大部分「日帝植民地研究」にばっかり行くのも、よく理解ができない。
いやまあなぜかは明らかで、「教授とモメて学位取れない」とかいう事態を避けるために、両者の合意の上で、「安全な話題」を選んでそうなってるんだけど。
そういうの見てると、文系の知識生産の意味、大学院の意味って一体何なんだろう、という疑問が抜き難く湧いてくる。実は若い子の中にも、そういう状況に嫌気が指してて、「本当は韓国社会のこういうのがやりたいけど、今はできないからしょうがない」というのが結構いるんですけどね……それにしても……。本当、精神的に辛かった。

問題その二は、この手の批判的な社会学というのは、民主化運動・学生運動の歴史とものすごく直結していること。何しろ当事者の多くがまだ40代ですから……「ポストモダン」とか「カルスタ」というのと、「全共闘」みたいのが、少なくとも一般的認知としてかなり分離したものである日本とは、イメージが違う。
さっきの第一点も要するに、当事者がまだ社会の主流層として存在しているので、批判できないでそのままタブーになっちゃってる物事が多過ぎる、ということだと思うけど。

追い追い書ければ良いと思うが、何にせよ「知識生産」みたいのと、この「運動の歴史」は、ものすごく直結していて、それは労働運動(というか民主化以後どんどん発言権を増してって今や過剰気味の労組)とかにも直接的にリンクしている。
そんで私は(たぶん同年代の多くと同様に)、歴史的な役割の終わった「運動の論理」が、そのまま残りカスで溜まっていくのは、有害でしかないと思っている。それは後続の人間に、持っても仕方ない妙な正義感とか、自分の得にならない夢とか、そういうのを与えるだけだと思う。

ところがこちらでは、それがまだ「終わっていない」と思っている人が、ある種の社会学科みたいな場所に集中して残っている。一般人の大半は「とっくに終わった」と思っていて、だからこそ民主化運動の到達点としての盧武鉉大統領は支持率が1割しかない訳だが……それを「保守化」とレッテル貼りすることしかできない「知識人」と、一般社会とは、乖離を進めるばかり。そういうイメージ。

私はそういう人と話が合わないので、そうなると先述の「それ以外」派の教授たちの7-8割?(皮膚感覚)と自動的に話が合わないことになる。あくまで社会学の話ですけどね。
私は韓国の大学のものすごい封建制の、ある程度外にいるから、別にそれは構わないんだけど、それより「じゃあここでの社会学って一体何なんだろう」と思わざるを得ない。

この点は日本も同じだと思うけど、「保守化だ保守化だ」とか騒げば騒ぐほど逆効果で、実はその対立項とされてきたものの妥当性が失われていることの方が問題であり、それを一旦直視してから、いかに組み替えるかを考え、「保守化でも何でも、とにかく社会が変な方に行かないように」と考えるのが重要だと思うんだが……。
こっちでは、今実際に一番活動している層が当事者なんで、そういう風にメタ化ができない感覚がすごくする。「マスメディアの保守化傾向に対抗し、『市民メディア』を補強するにはどうしたらいいか」とか、いまだに言っている。
夢の残りカスとしての「絶対善/絶対悪」みたいな観念が、ものすごい影響力を持って残存してて、誰もその軸をずらそうとしない(というか先述の理由で「できない」のもある)。見ててすごいもどかしいし、ホンデの住人が「大学で勉強なんかして何になるんだ」とか言うのもよく分かる。

まあこんなことは、『不安型ナショナリズムの時代』に書いたこととだいぶ重なってるけど……韓国の大学に在籍したのは初めてだったので、本当に驚いたし欝だった。

ついでに言うと、韓国の大学院では、博士課程であっても学生の間は、論文投稿も学会発表も何もしないのが普通。なので「一応まだ学生だけど著書がある」とか、「学生だけど授業を持った経験がある」とか、「学生だけど仕事で書き物がある」とかいうのが、すべてまったく理解できないらしい。要するに対等の人間ではない。
すごいのが、教授の話にちょっと批判めいた質問でもしようもんなら、あからさまに腹を立てること。たぶんこの時点で、おれが「普通の学生」だったらアウトで、半ば放逐扱いになるんだと思う。権威主義って怖いなあ。しかしこんな所から、何か新しいものが生まれるとは到底思えないんですけど。

ここで書いたことの大部分は、「ソウル大学校だから」という側面も多分にあるみたいですけどね。ほぼトラウマ体験でしたけど。良かった、ホンデに脱出して。
実際他の大学にいる先生の中には、普通に仲良くしてもらったり、おれの文章を基に意見交換してもらったり、すごくお世話になってる人も何人かいますし……そういう人たちといろいろできればいいな、と思っている今日この頃。

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2007年1月16日 (火)

朝日新聞,特集「ロストジェネレーション」

「年が明けたらどんどん更新しよう」と思っていたら、もう16日。生来の怠惰さに自己嫌悪。
日曜の14日は誕生日でして、31歳になりました。ごく近い知人に、ささやかに祝ってもらいました。

さて、ウェブで見られなかったこの記事、某筋から送ってもらってやっと見ることができました。ありがとうございます。

この特集には賛否両論いろいろあるらしいですが、ハタ目には「結構良い特集なんじゃないか」というのが素直な感想ですけどね……。これまで、こういうミクロな視点で、あんまり大々的には取り上げられなかった話題がいろいろ入ってるし。

個人的に思ったのは、個別の事例を、社会的な「背景」につなげる回路が、ほんのちょっとで良いから欲しかったなと。
社会全体に関わるはずの問題について、特定の集団に「希望」や「絶望」を見出し仮託するという形の議論は、絶対どこかでウソをつくことになるんだと思うんですね。特に「希望」の方ですけども。個人的に私はそういう話はしたくないなあと思っていて。
対象者に、支援なり何なり、具体的に何かしようという話ならば別ですけども。

だから、「ロストジェネレーションというのがこういう風に考えたり動いたりしてるけども、実はそれを良いとか悪いとか言っててもしょうがなくて、我々全部が怒ったり反省したり身の振り方悩んだりすべきことなんだよ」という体にしないと、なんか企画意図が誤解されちゃんじゃないか……というようなことをハタ目には思いました。

しかし逆に、「若者」とかいうテーマがこういう風にマスメディアへ出てくると、とにかく悪口言おうみたいな空気があるのも、どうかと思うんですけどね。その悪口が、当人たちに利益をもたらす方向に、物事を動かすようには見えないし。

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2007年1月11日 (木)

「文化系トークラジオ Life」,TBSラジオ

あけましておめでとうございます。
旧年中は身辺にさまざまな変化があり、後半からは外国暮らしで、混乱しっ放しでしたが……。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

昨年10月から始まった、このラジオ番組。私もウェブサイトからダウンロードして、毎回聞いております。私はiriverを使っているんですけども。放送は毎週土曜8時だそうです。
http://www.tbsradio.jp/life/

パーソナリティの鈴木謙介さんとは、ひょんなことから昨年初めて会って以来のご縁ですね。ちょうど同い年だし、同じ業界(?)だし、共通点多いけど、でもすんごい異質な所もあって。話す度に刺激をもらっております。しっかししゃべりうまいなあ。

次回のテーマは、「失われた10年~Lost Generation?」だそうで。
クダンの朝日新聞の特集記事は、ウェブで見られなかったので、読んでないんですが……。

個人的に思うのは、古いものがもう維持不可能なのが分かった時、なんか「逃避」みたいなことばっかり言われてたなあ、と。なんであのタイミングが、もうちょっと違う方に物事を動かさなかったんだろう?
当時私が好きだったバンドなんかでも、急にトランスとかレイブとか言い出して、「あっちの世界」に行ってしまってですね。その後帰ってこない(笑)例が非常に多い。
同時に、変な共同体に閉じこもってアジールを作ろうとする人たちも、身近に結構いて……なんでそんなことで「乗り切れる」と思っていたのか、今となってはよく分からないんですが……。
90年代の文化というとそんなイメージがあって、それは人文社会系の大学とかにも大きな影響があったような気がして……かなり強い不信感を抱いて現在に至っておりますね。はい。

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