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2007年1月22日 (月)

韓国の大学院と社会学についての雑感(というか愚痴)

風邪が治らなくて、延々ずっと体が本調子でない。そろそろ病院行かなきゃダメかも。

私はソウル大学院の言論情報学科という所の交換留学生ということになっている。
しかし……ここには本当に失望した。基本的に英語の古典理論を読むというのが重視されていて、韓国の近代史を教えたりしてる人はすごくマイノリティ(その韓国の近代史も大体英語の資料なんだけど)、という話は前にしましたが……。

こっちでは社会学のヴァリエーションが少なくて、要するに官僚と一緒になって政策立案する人――大体統計を使う「実証派」――と、「それ以外」という感じ。
政治学だったら、東大社会科学研究所みたいなことやってる人も、いるにはいるんだが。

そんで「それ以外」は、まとめて「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれている。日本で言う、ポストモダンも、記号論も、消費社会論も、何もかも「カルチュラル・スタディーズ」として90年代初頭くらいに流入してきた経緯もあって。

問題なのは、この両者が本当にどっちもどっちでですね……
今、若年失業にまつわる研究会というのに参加させてもらっているのだが、「実証派」の人の発表は、教授でも本当に目を見張るぐらい適当で、明らかに当人の脳内の前提条件を多数放置したまま、数字を並べて「対策=政策立案」するのが「実証」とされている。
そうなると容易に予想できる(?)ように、こういう話から出てくる「対策」はほぼ結局、「意識調査」を使って、「若者自身の意識にどういう問題があるか」という問いを立て、「彼らの意識を変えるためにはどうしたらいいか」という話になる。
産業構造の変動とか、中国の台頭とか、IMFの影響とか、そういうことについては「これ実証研究なんで関係ないです」とか「具体的に提言しないと意味がないんで」とか言われて済まされる。びっくりです。

ある先生にそれを話したら、「まあ韓国は、余り深く考え込まないで、どんどん実行に移してきちゃったからこそ、こんだけ早く発展した国ですからね」と言っていたが……
まあそれはそうなんでしょうけども、日本では「もっと実証しろ」という掛け声に一定の妥当性があるが、こちらではむしろ逆で「もっと社会理論とか勉強した方がいいと思うんだけどなあ」という感じ。

そんで後者の非実証派?=「それ以外」なんですが、問題その一は、(カルスタ・ポスコロの全盛期を知らない人には分からないと思うが)スピヴァクとかホミ・バーバとかを今ごろ一生懸命読んでる人――というか読ませる教授――が結構いるんですね。もっとひどいと、ドゥルーズとか読んでる。
別に読むのは構わないですが、そういう話が分不相応に流行した後、結局何も生み出さなかった現場をリアルタイムで見てきた身としては、かなり辛い。

しかも、そういう話を読んだ後、学生の関心が「韓国のナショナリズムとか同質性とか云々」に向く例はほぼ皆無で、大部分「日帝植民地研究」にばっかり行くのも、よく理解ができない。
いやまあなぜかは明らかで、「教授とモメて学位取れない」とかいう事態を避けるために、両者の合意の上で、「安全な話題」を選んでそうなってるんだけど。
そういうの見てると、文系の知識生産の意味、大学院の意味って一体何なんだろう、という疑問が抜き難く湧いてくる。実は若い子の中にも、そういう状況に嫌気が指してて、「本当は韓国社会のこういうのがやりたいけど、今はできないからしょうがない」というのが結構いるんですけどね……それにしても……。本当、精神的に辛かった。

問題その二は、この手の批判的な社会学というのは、民主化運動・学生運動の歴史とものすごく直結していること。何しろ当事者の多くがまだ40代ですから……「ポストモダン」とか「カルスタ」というのと、「全共闘」みたいのが、少なくとも一般的認知としてかなり分離したものである日本とは、イメージが違う。
さっきの第一点も要するに、当事者がまだ社会の主流層として存在しているので、批判できないでそのままタブーになっちゃってる物事が多過ぎる、ということだと思うけど。

追い追い書ければ良いと思うが、何にせよ「知識生産」みたいのと、この「運動の歴史」は、ものすごく直結していて、それは労働運動(というか民主化以後どんどん発言権を増してって今や過剰気味の労組)とかにも直接的にリンクしている。
そんで私は(たぶん同年代の多くと同様に)、歴史的な役割の終わった「運動の論理」が、そのまま残りカスで溜まっていくのは、有害でしかないと思っている。それは後続の人間に、持っても仕方ない妙な正義感とか、自分の得にならない夢とか、そういうのを与えるだけだと思う。

ところがこちらでは、それがまだ「終わっていない」と思っている人が、ある種の社会学科みたいな場所に集中して残っている。一般人の大半は「とっくに終わった」と思っていて、だからこそ民主化運動の到達点としての盧武鉉大統領は支持率が1割しかない訳だが……それを「保守化」とレッテル貼りすることしかできない「知識人」と、一般社会とは、乖離を進めるばかり。そういうイメージ。

私はそういう人と話が合わないので、そうなると先述の「それ以外」派の教授たちの7-8割?(皮膚感覚)と自動的に話が合わないことになる。あくまで社会学の話ですけどね。
私は韓国の大学のものすごい封建制の、ある程度外にいるから、別にそれは構わないんだけど、それより「じゃあここでの社会学って一体何なんだろう」と思わざるを得ない。

この点は日本も同じだと思うけど、「保守化だ保守化だ」とか騒げば騒ぐほど逆効果で、実はその対立項とされてきたものの妥当性が失われていることの方が問題であり、それを一旦直視してから、いかに組み替えるかを考え、「保守化でも何でも、とにかく社会が変な方に行かないように」と考えるのが重要だと思うんだが……。
こっちでは、今実際に一番活動している層が当事者なんで、そういう風にメタ化ができない感覚がすごくする。「マスメディアの保守化傾向に対抗し、『市民メディア』を補強するにはどうしたらいいか」とか、いまだに言っている。
夢の残りカスとしての「絶対善/絶対悪」みたいな観念が、ものすごい影響力を持って残存してて、誰もその軸をずらそうとしない(というか先述の理由で「できない」のもある)。見ててすごいもどかしいし、ホンデの住人が「大学で勉強なんかして何になるんだ」とか言うのもよく分かる。

まあこんなことは、『不安型ナショナリズムの時代』に書いたこととだいぶ重なってるけど……韓国の大学に在籍したのは初めてだったので、本当に驚いたし欝だった。

ついでに言うと、韓国の大学院では、博士課程であっても学生の間は、論文投稿も学会発表も何もしないのが普通。なので「一応まだ学生だけど著書がある」とか、「学生だけど授業を持った経験がある」とか、「学生だけど仕事で書き物がある」とかいうのが、すべてまったく理解できないらしい。要するに対等の人間ではない。
すごいのが、教授の話にちょっと批判めいた質問でもしようもんなら、あからさまに腹を立てること。たぶんこの時点で、おれが「普通の学生」だったらアウトで、半ば放逐扱いになるんだと思う。権威主義って怖いなあ。しかしこんな所から、何か新しいものが生まれるとは到底思えないんですけど。

ここで書いたことの大部分は、「ソウル大学校だから」という側面も多分にあるみたいですけどね。ほぼトラウマ体験でしたけど。良かった、ホンデに脱出して。
実際他の大学にいる先生の中には、普通に仲良くしてもらったり、おれの文章を基に意見交換してもらったり、すごくお世話になってる人も何人かいますし……そういう人たちといろいろできればいいな、と思っている今日この頃。

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