韓国の革新系メディアの「下品」な対外報道
なんか私生活上の問題がいろいろ出てきて、テンション下がり気味の1月末。
こっちでは今、「ヨウコの話」という本の話が結構盛り上がっている。元々英語圏で出版された、韓国からの日本人引揚者の苦労を自伝的に書いたものらしく、韓国人による日本人へのレイプなどの内容があると。
出版そのものは数年前のことらしいんだが、それがアメリカの中学校か何かの教科書に使われたことから話題がヒートアップして、ものすごいバッシングが起こっている(いつもそうだけど、うろおぼえで適当に書いているので、詳細は皆様でお調べ下さい)。
「アメリカ人の子供に韓国について間違ったイメージを与える」「そんなことある訳ない」「日本人の方がよっぽど悪いことしたのになぜそれを書かない」「歴史歪曲だ」云々。
マスメディアの中で、そのバッシングを最も熱心に行っているのが、ハンギョレ新聞。韓国の全国紙の中で唯一の「革新系メディア」であり、日本でもよく韓国の新聞界の「唯一の良心」みたいな言われ方をする。だけど、この件でも……
例えば『レイプ・オブ・南京』が出た時に、日本で、著者の細かいプロフィールを根掘り葉掘り書いて個人攻撃するとか、「結局中国系はこうだからダメだ」的な一種の人種主義的解釈とか、私の価値観で言えば「下品」な論評をものすごい積極的にやっていたのは、保守論壇誌だった。
そんで韓国では……こと対外問題に関して言えば、そういう日本の保守論壇誌的な(?)「下品さ」に対応するものは、どう見ても革新系のメディアに多い。もはや単なる著者への憎悪としか思えないことを、「正義の鉄槌」とでも言わんばかりに延々と書いている。
例えば北朝鮮の核ミサイル実験の時も、「この核実験で一番得をしたのは、日本の極右政権とアメリカの軍事偏重政権である」とか、コラムじゃなくて記事の地の文に平気で書いていたのが、ハンギョレ新聞。
歴史問題になると保守メディアでも同じようなものなのだが、保守派メディアは、現政権周辺に強い反米・反日主義を批判したいだけだからにせよ、対外報道については「比較的マシ」な気がする。代わりに国内の盧武鉉政権について、ひたすら「下品」なことを書いている。また機会があれば追い追いに。
いちいち微細な事実をより集めて、本の内容に相当するようなことが「あった」「なかった」という話には、他の話題と同様に、個人的には全然興味がない。でも「何で『革新』の理念がこういう方向に行くんだろう」というのはもうちょっと考えた方がいいなあ、とかぼんやり考えている。『不安型ナショナリズムの時代』で書いた「玉突きモデル」ですね。
そういういろいろを、「植民地と被植民地の違い」だけで全部説明することができた時代は、もうとっくに終わったんだと思う。こっちではその路線に乗って発言してる人のものが、ハンギョレ新聞へ毎日のように翻訳されているんですけれども(笑)……この論理は「比較」という視点を拒否するものであり、現在の日韓中がそれぞれの自発性をもった、対等なパートナーであるならば、有効な分野はかなり限定されると思うんですけどね。
そういう日本人の論者が、「良心的日本人」としてこっちで持ち上げられてたりする現状は、内実のある対話を妨害しているとしか思えない。そういうことを表立って言っても、日本の文脈では「おれ自身が保守化してる」としか思われないんだろうし、逆側の全然関係ない人に「味方」とか誤解されもしそうだし、どうすればいいんでしょうね。本当。
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