北京に行ってから東京に戻ります
私は本日、ソウルを離れて北京に向かいます。3月10日に北京から東京へ一時帰国します。4月10日頃を目途に再度ソウルへ戻る予定です。
また間が空いたのにお知らせですみません……。いろいろあった件は直接お目にかかった時にでも……どうぞよろしくお願いいたします。
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私は本日、ソウルを離れて北京に向かいます。3月10日に北京から東京へ一時帰国します。4月10日頃を目途に再度ソウルへ戻る予定です。
また間が空いたのにお知らせですみません……。いろいろあった件は直接お目にかかった時にでも……どうぞよろしくお願いいたします。
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12ページです。錚々たる面々の中に、『不安型ナショナリズムの時代』の表紙まで載せて頂きまして、大変恐縮な思いです。
仲正昌樹さん、関係者の皆様、ならびに記事を送ってくれたKM林さんとS木さんに感謝申し上げます。
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先日来韓されたcharlie氏に、いろいろマジ説教されて、いまだ立ち直れない気分の高原基彰です(うそ)。それはともかく、お疲れ様です。大変だったけど、有意義でしたね。やっぱ普段から、調査とかどんどん出向かないといかんな。それも含めて、熱い刺激をもらいました。
……前々回のLife、本田由紀さんすごい。
さてまた間が空いてしまいましたが……
最近、韓国の人文系の話題の一つといえば「ニューライト」。かなり日本の「新しい教科書を作る会」と似ている。これまで主流だった「左派的歴史観」へ再検討を迫ろう、という主旨で。
しかしこちらのニューライトは「反民族主義」であり、取りようによっては「反ナショナリズム」的な側面も含んでいる。実際、「本質主義批判」みたいなポストモダン的思考を、日帝植民統治期解釈にも取り入れよう、とか言ってるのはこちらの陣営で。同じ「保守化」と言ってもベクトルというか文脈が全然違う。
個人的には、「結局同じ土俵に乗っちゃってる感」がすんごい漂うムーブメントで、あんま評価する気にはなれないんですけども……。
一躍この陣営が話題になったのは、『解放前後史の再認識』という分厚い二巻本が話題になったからでですね。つまり日帝からの「解放前後」の歴史を再検討しようと。
下敷きになってるのは、『解放前後史の認識』という、民族主義の強い人(現在の学界の大御所たち)が集って80年代?に出した8巻くらいの叢書で、それへの批判という体になっている。
ちなみに、先々月くらいに、このニューライトの人たちが教科書を作ってみたらしくて、そのお披露目会みたいのがあったんですけども……壇上でしゃべってる代表者に、左派の人が殴りかかって、事後の記者会見で血をダラダラ流していたという。
そんでその数週間後、その二人が「和解して意見の違いを尊重します」とか言って、笑顔で手つないで新聞に出ているという。本当この手の話は、何をどれだけ真剣に取り上げれば良いのか分からない。
この記事は、そのニューライト陣営の主力雑誌「時代精神」の編集者、シン・ジホさんのインタビューです。記事の解説によれば、1998年以降目だってきた「転向386世代」が中心になって発刊された雑誌だそうです。
シン・ジホ氏いわく:
・「盧大統領は就任式で、『大韓民国は正義が敗北して機会主義が勢力を得る歴史だ』と言った。こうした歴史観を(我々は)『自虐史観』と呼ぶ。こうした歴史観によって国政主要課題に「歴史見直し」が出てきた。ニューライト系列の学者たちが<解放前後史の再認識>を出したのも、そのためだ。根元を探ってみれば、70・80年代の大学で読まれた本を書いた学者たちが出て来る。彼らの主張は現在の国の政体運営に甚大な影響を及ぼしている。この人たちの立場から見れば、結果的に『大成功』だったと言える。当時には弾圧されていた良心的知識人の象徴が透けて見えるが、今は大統領の精神世界にまで影響力を及ぼし国情遂行に現実的な力を持っている」(32)
※そんで、カン・マンギル、イ(リ)・ヨンヒ、ペク・ナクチョン、チェ・ジャンジプ、ファン・ワンサンの五人を特に批判したいと。
チェ・ジャンジプの本は、和訳本をこのブログでずっと前に取り上げた気がする。その他の人も結構邦訳が出ている。
イ・ヨンヒ氏は、「世界」の昨年12月号(だっけな)に、主義主張の是非以前に「そこまである論者を神格化するのってどうなんだろ」みたいな取材記事が載っていましたが、その人です。
・当時運動に関わった「大衆」は、マルクス・レーニン、あるいは主体思想をそのまま読んでいた訳ではない。なのでこれらの主義者だったとは言えない。読んでいたのはこうした韓国の知識人たちの本で……「結局(大衆が)この人たちを見ながら『386情緒』とでも言うべきものに形成された」。現在その影響は政治圏だけでなく文化圏にも強いと(32)
※そんで、現在韓国では「歴史究明」の動きが連綿と続いているけども:
・親日派処罰は、当然法【自然法】」ではなく「行為法」の基準で行われるべき。「ある職級以上は親日派」みたいな判断は前者にあたり、誤っている
「日帝時の高位官僚であったことを指して親日派と処罰するべきなら、維新時代に判事生活をした盧大統領はどうすべきか。『独裁協力司法』で見なければいけない」(33)
……私は自分なりに、彼らの違和感を理解することができる。でも元のものを<単に反転>させる試みは、日本でもあるけど、あんま意味ないんじゃないかなあという感慨が否めない。これもまた追い追いに。
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