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2007年7月 9日 (月)

金城模【キム・ソンモ】,2007,『嫌日流――アジアの妄想家日本に告ぐ』晋遊舎.(=2006,自由区域)

どうでもいい話だが、こないだ、カンヌ映画祭で主演女優賞を取ったことでこちらでも大変評判だった「ミリャン(密陽)」を観た。あまりのつまらなさに、久々に映画観て腹立った。
「不幸続きの女性が、田舎に引っ越してきて、さらに不幸に見舞われ、精神異常になっていく」という映画(これで全部ネタバレです、ごめんなさい)で、精神異常っぷりをひたすらねちっこく描く二時間弱。テーマもなければオチもない。
ねちっこい女優の演技は確かにすごいんだけど、それだけ長々見せられてもねえ……。韓国映画でも、他に面白いのいろいろありますから。これはちょ(以下略)

つまらないもののことは別に書く必要もないんだけど。
表題のマンガも、同じくらいどうでもいいんだが、まあ、「動き」を把捉させるようなものがないと他国認識はこうなっちゃう、みたいな前回の話とのつながりで(笑)

日本のマンガ「嫌韓流」に対する、直接の返答として書かれたものらしい。その内容は、要するに「日本は社会運動がないから、政府やマスコミに騙されている」、「バカな国民」であると。それに対して韓国は「輝かしい運動の歴史があるから、バカな国民ではない」というもの。

そんで日本政府は、国民がバカなのをいいことに、一直線に「軍事大国化」への道を進んでいる。日本という国家は、原初以来常に、アジアにおける軍事大国化を考えてきた。現在でもそうである。日本政府は、「北朝鮮危機」を、バカな国民の目をくらますために過大評価し、アメリカの機嫌を取りながら着々と軍事大国化している。
「嫌韓」とは、こうした日本政府の国民への目くらましであり、日本国民は、そんな嘘にだまされずに、目覚めて軍事大国化を阻止しないといけないんだ、みたいな内容。

『不安型ナショナリズムの時代』でも書いたけど、日本政府が原初以来現在まで一貫して「アジアの軍事大国化」を至上課題として行動してきたのであり、日本人が全員「その陰謀に騙されてきた」という主張に納得する人は、およそ日本にはいないだろう。
作中では、そういう台詞の後に、相手の日本人が「ハッ」とかいって汗をたらしながら説得されるんだけど(笑)。そういうバカらしさは「嫌韓流」と同類。

そんで、これは明らかに、韓国における「左翼・革新派」の立場からなされている発言である。
ここまで極端なことは、さすがにまともな人は言わないけど、でも「日本では『市民社会』の影響力が低下しつつある。中国ではいまだ『市民社会』が成立していない。わが国の優れた『市民社会』を、アジアにどんどん輸出しなければならない」みたいな物言いは、研究者界隈でも比較的よく聞く物言いである。
「市民社会」って輸出とかできるものなのか?直接聞いてみたこともあるけど、「日本人にはなかなか分からないでしょう」とか言われるだけという(笑)。とりあえず、この手の人々の思考回路を戯画的に描いたものとして、まあ一読の価値がないでもないのかな。

こういう時の「市民社会」というのが何なのか、議会制民主主義のことなのか、市民運動のことなのか、アナーキズム的な新しい(または新しい・新しい)社会運動のことなのか、なんてことを、突き詰めて考える人は皆無に等しい。中心的な論者たちの多くは、学生運動の直接的な参加者だった世代で、その運動へのノスタルジーでしゃべっているだけだから。

韓国では、彼らはまだ40代で、社会の中枢にいるので、過去の運動の反省とかが本格化するのは、まだまだかなり先のことだと思う。語れないタブーとかもたくさんあるんでしょうしね……。
そんでそういう思考に、韓国でも、後続世代の多くが幻滅しているのは、あまりにも当然である。こういう思考は韓国で一時期ものすごい正統性を付与されて<いた>のだが、現在は草の根レベルの支持を失いつつあるものであって、これを「韓国伝統の反日感情が云々」などと解釈するのは、まったく間違いである。
逆に、こういう思考に「日本は確かにそう」とか言って納得するのも、こっちで失笑を買うことになりかねないので、やめた方がいいと思う。ちなみにこの作品も(著者はそこそこ有名らしいが)全然有名じゃないし、大して売れてもないはずです。はい。

ついでにもうひとつだけ言うと、基本的にこの人たちは「親北・反米・反日」で、戦後日本は、現在まで一貫して「米国の威を借りてアジアの覇権を狙っている」ということになるんだけど……日本の文脈では、「対米追従」と「軍備拡張」とは、確かに重なる部分もあるが、全然相容れない点も数多くある。
「米国の威を借りないで、自主防衛する」という議論も紛々出てきている現在では、なおさら日本の文脈では意味のない議論だし、アメリカとの関係について議論百出だった戦後日本の言論について、この人たちは何ひとつ知らないのである。まあ、お互い意味のないことを言い合っているのは不幸なのでですね……はい。

そんで最近では、金大中~盧武鉉の間に「抵抗者」から「執政者」に変わったこういう「革新」イデオロギーに対するアンチとして、「親北」(=民族主義)をテコにしない形のナショナリズム、というか愛国主義、が相対的に影響力を増しているような気がする。でもその人たちは、逆に「反共」へのノスタルジーが強くて、それはそれで現代的な意味・課題みたいのを見出しにくいタイプの考え方だったりして。

日本では参院選も近いのに、浮世離れしたこと書いてて恥ずかしいなあ。すみません(誰に?)。まあ、自分用のメモで適当に書いているだけなので、勘弁してください。

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