「思想地図」原稿の訂正の続きです
「思想地図」の原稿なのですが、さらに訂正です。
p.111、4行目 渡辺俊夫 →渡辺利夫
p.118 、(文献リスト中)シュミット、カール →シュミット、アンドレ
知り合いから「いくらなんでも、この間違いはナシだろう」という指摘を複数もらったので……言いたくないことですけども、前者は私のタイプミスですが、後者は編集段階でのミスです。
さあっ次頑張りましょう。はい。
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「思想地図」の原稿なのですが、さらに訂正です。
p.111、4行目 渡辺俊夫 →渡辺利夫
p.118 、(文献リスト中)シュミット、カール →シュミット、アンドレ
知り合いから「いくらなんでも、この間違いはナシだろう」という指摘を複数もらったので……言いたくないことですけども、前者は私のタイプミスですが、後者は編集段階でのミスです。
さあっ次頑張りましょう。はい。
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東浩紀さん・北田暁大さん編集の新しい雑誌「思想地図」が出ました。
創刊号で、錚々たる面々の中に不釣合いな私がいます。
ところが……現物を見ましたら、校正の際に手違いがあったようで、私の意図とまったく異なる文面になっている部分がございます。この場に私の原文を載せて、訂正させて頂きます。
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(102頁:第二パラグラフから)
『88万ウォン世代』という本が2007年の下半期に大きく話題になった。若者の多くが低賃金労働に就かざるを得なくなっていることを告発するという、日本のワーキングプア論とよく似たモティーフを、韓国で初めて明示的に提示した本である(ウ&パク,2007)。この本の中では、独裁政権下のいわゆる「国家コーポラティズム体制」を生きた世代とまったく並列に、政治運動に熱中して現在の試験地獄とは対称的な学生生活を送り、卒業後は市民運動団体などに居場所を見つけ、一定の知的ヘゲモニーを握ることのできた386世代を、すでに「既得権益者」であるとしている。またこの著者たちは、金大中から盧武鉉にいたる進歩的な政権を、(財閥支配に対する労働者の味方などではまったくなく)雇用の不安定化をもたらした「新自由主義」政権であると明確に位置づけた。やや極論のきらいがあるものの、こうした批判は、民主化勢力の理念が持っていた知的な「正統性」の喪失と、その先の展望のなさを暗示した本と言える。
盧武鉉政権を新自由主義と解釈した、より学術的な議論として、著名な政治学者であるチェ・ジャンジプ(崔章集)は、(市民運動の強い韓国社会の特性を鑑みて)直接的な市民参加を増大させることよりも、議会制民主主義の制度の上で利害対立を調整する必要を主張してきたが、盧武鉉政権の誕生と政権運営はそうした努力と無縁だったのであり、結果的に新自由主義とポピュリズムに親近性を持ってしまったと総括している。チェは金大中政権のブレーンだった人物であり、先述したキム&パクの議論は、その当時こうしたチェの「手続き的民主主義」を重視する姿勢を批判したものだった。盧の任期末に行なわれたこの発言は大きな論争を巻き起こしたが、左派の内部でも、支持下落に伴い、過去のラディカリズムに収まらない様々な議論が活発化していることを示すものだろう。
その一方で、盧武鉉は労組に親和的で……
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まったくの私事で恐縮なんですが、携帯電話をなくしてしまいまして……
番号が全部なくなってしまいました。メール等で連絡先をお伝え頂ければありがたいです。
今、残務処理と、研究会での発表と、家の引き揚げのためにまたソウルにきています。めちゃくちゃ寒いですね……。
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に出ます。関東学院大学・金沢八景キャンパスです。
全体プログラム
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/research/conf80_p.html
私の参加パネル
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/research/conf80_pmain.html#_Toc176698971
非常に自信のない発表で、怒られないか心配です。はい。
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先日、ソウルより帰国しました。
そのタイミングで(笑)、拙著『不安型ナショナリズムの時代』の、韓国語訳が出ました。http://www.aladdin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991097758
情報学環の後輩(同い年だけど)で翻訳者のジョン・ホソクさんに感謝。サミンという、あちらで割と有名な学術出版社から出せたのも、彼のおかげ。
しかし出版直前に、サミンがいきなり「タイトルを変えたい」と言い出して、日本語の副題と主題が入れ替わったようなのに変えられてしまった。「韓中日のインターネット世代が憎み合う本当の理由――不安型ナショナリズムの時代、韓中日の若者たちの葛藤を読む」かな。
かなり強硬に「それだったら原題のままにしてくれ」と言ったのだが、まったく聞く耳をもたれなかったという(笑)。あちらの出版界隈(特に学術系)の状況は、日本なんかより全然厳しいから、少しでもキャッチーにしたいのはまあ分かるんだけど……。
知り合いの先生に聞いても、「(韓国では)題名は出版社が決めるもんだからしょうがないよ」と言われたので、まあそんなもんかと。担当の人には「題名で何か言われたら、自分じゃなくて出版社が勝手につけたものだと説明してください」と言われた。はい。
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紹介が遅れてすみません。
本田由紀編
『若者の労働と生活世界
――彼らはどんな現実を生きているか』(大月書店)です。
私は、第一章「日本特殊性論の二重の遺産」という一文で参加させて頂いております。
他の著者には、おなじみの阿部真大君(最近大活躍だなあほんと)などがおりまして、リストをコピペしておきます。お見知りおきを、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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平井秀幸 東京大学教育学部研究員
高原基彰 日本学術振興会特別研究員
居郷至伸 東京大学教育学研究科博士課程在籍
阿部真大 東京大学大学院後期博士課程在籍
前田拓也 関西学院大学大学院社会学研究科・博士後期課程研究員
大多和直樹 東京大学大学総合教育研究センター助教
山口 毅 帝京大学文学部社会学科助教
齋藤拓也 独立行政法人 鉄道・運輸機構職員
新谷周平 千葉大学教育学部准教授
中村英代 日本学術振興会特別研究員
仲野由佳理 東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科
湯浅 誠 NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長
仁平典宏 日本学術振興会特別研究員
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『ロマンチックウイルス』 島村麻里著、集英社新書、です。
アップされたのは先週くらいなんですが、報告が遅れまして申し訳ありません……。
(全文読むには、無料の会員登録が必要なようです)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070502/124109/
この間にもなんかいろいろあったので……追い追いご報告できればと。
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相変わらずバタバタしておりまして……そろそろホンデの我が家に帰りたい……などと、ダメ人間の地が出てきている31歳の春です。帰ったらクーラー買わなきゃ。
告知が遅くなってしまい申し訳ありませんが、「PARC自由学校」にて講座を持たせて頂くことになりました。10月か11月のいずれかです。講義タイトルなどは仮名の段階で、そして錚々たる面々の中でプレッシャー満載なのですが……どうぞお見知り置きをよろしくお願いいたします。
PARCのホームページはこちらです↓
http://www.parc-jp.org/
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以下、アジア太平洋資料センター(PARC)が主催する
講座の案内です。
http://d.hatena.ne.jp/parcfs2007/20070302
PARC自由学校2007・講座14「不安社会ニッポン」をどう生きるか
少子高齢化、格差社会化、セキュリティ化……。得体の知れない閉塞感が広がる日本社会。私たちから共感や共存を奪い、生き難さを感じさせている本質には何があるのか? この隘路から抜け出すために、私たち一人ひとりはどのような現状認識を持ち、思考し、対処していけばいいのか? ここでは「不安」をキーワードに、現代日本を象徴する諸問題を取りあげながら、思考や眼差しの転換と〈オルタナティブ〉の構築に向けた議論を展開していきます。
●2007年5月~2007年12月●基本的には隔週月曜日19:00~21:00●全14回/定員30人●受講料38,000円
5/7 19:00~21:30
オリエンテーション
若者の貧困と日本の未来
●杉田俊介(ケアワーカー・ライター)
●湯浅 誠(「自立生活サポートセンター・もやい事務局長・便利屋あうん代表)
5/21
「野宿者襲撃」が起こる社会から「連帯」を育む社会をどうつくるか
●生田武志(野宿者ネットワーク)
6/1(金)
「放送禁止」「自主規制」「翼賛化」のメディアに抗して
●森 達也(映画監督・作家)
6/4
自殺者3万人の社会――みんなが生きられる社会への視点
●清水康之(自殺対策支援センター・ライフリンク代表)
6/18
社会的排除とスペクタクル国家
●渋谷 望(千葉大学文学部助教授)
6/23(土)16:00~18:00
学校を「聖域」にするな! 追い詰められる教室からの脱出作戦を考える
●牧野 剛(河合塾講師・翔学舎校長)
●内藤朝雄(明治大学文学部助教授)
7/2
国家再編と「下から」のナショナリズム
●萱野稔人(東京大学21世紀COE研究員)
7/23
「尊厳死」法案と生命の切り捨て
●小松美彦(東京海洋大学海洋科学部教授)
9/3
生きる権利を奪う「自立支援」─自立を阻むこの国の制度
●多田 薫(きょうされん(旧・共同作業所全国連絡会)事務局長)
9/29(土)16:00~18:00
ロストジェネレーションの闘争/逃走論
●雨宮処凛(作家)
●赤木智弘(ライター・フリーター)
10/15(仮)→11/26に変更の可能性あり
「保守化」とは何か―若者との関わりを中心に
●高原基彰(日本学術振興会特別研究員)
10/29
ベーシック・インカム―持続可能な税制と社会保障を考える
●小沢修司(京都府立大学教授)
11/12
格差/階級社会日本―何が問題なのか
●橋本健二(武蔵大学社会学部教授)
12/10
〈不安社会〉からの出口を設計する
●上野千鶴子(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
●北田暁大(東京大学大学院情報学環助教授)
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ご報告が遅れて申し訳ありません。本日7日の午後2時より、立教大学です。
以下にご案内を転載させて頂きます。かなり心配なんですけど、頑張ります。
なんかここ、告知板と化してますけど……リハビリしなきゃ。頑張ろうぜ、おれ。
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テーマ: 現代の『保守』――何が新しいのか?
司会者: 野上 元(筑波大学)
日 程: 2007年4月7日(土) 14:00~18:00
場 所: 立教大学 太刀川記念館 第1・第2会議室
報 告:
(1):高原基彰(東京大学大学院)
「現代における保守化とは何か――日韓におけるポスト高度成長の民主主義」
(2):塩原良和(東京外国語大学)
「ネオリベラル多文化主義の台頭と移民の選別/管理/排除――オーストラリアの事例から」
研究例会概要
奥村 隆 (担当理事・立教大学)
現在、高度成長期や80年代・90年代とは異なる形での、「保守化」と呼べる動きが生じているのではないか。「『保守化』を検証する」部会は、この問題意識から、1年目の研究例会ではネット上の差別発言についての報告、「保守」を公共哲学に位置づける報告を、大会シンポジウムではジェンダーフリー・バッシング、市民活動や「市民」概念の変質、若者の「保守化」とナショナリズムについての報告をいただき、議論を行った。
2年目の本部会は、「現代の『保守』――何が新しいのか?」という問いを掲げて、この動きにアプローチする。かつての「保守」が利益の社会的再分配型の構造を志向していたとするならば、現在の「保守」はむしろその構造を破壊し、さらにはそれによって真っ先に犠牲となるような位置にいる人々がその動きを支持するという、逆説的な現象まで見られる。そうした動きが現在、日常性のなかに浸透し、同時により大きな構造となって立ち現れ、日本社会を支配しつつある。現代の「保守」は、かつてと比べ何がどう「新しい」のか。それはなぜなのか、だれがそれを支持しているのか。
これをとらえるには、現代の「保守」の歴史的な文脈における位置取りを探る試みと、同時代的に多くの社会で見られる「保守化」の趨勢をグローバルな視点から比較する試みを必要とするだろう。2年目の研究例会では、東アジアとオーストラリアにフィールドを持つふたりの研究者にご報告いただく。高原基彰氏(東京大学大学院)には、日本と韓国を事例に、開発主義的な分配構造と親和的な「保守」に対して80・90年代を中心に提示された代案が、後に「失敗」とされるようになったことが、現在の「保守化」の一因ではないかという論点を、両国の比較から論じていただく。また、塩原良和氏(東京外国語大学)には、「多文化主義」が福祉国家の後退とともにネオリベラリズム的なものへと再編成されつつあり、これが移民受入政策における選別の強化や外国人への排外主義をもたらすことを、1990年代以降のオーストラリアを事例として論じていただく。
なお、大会シンポジウムでは大澤真幸氏(京都大学)、北田暁大氏(東京大学)、上野千鶴子氏(東京大学)にご報告いただく予定である。このアクチュアルな課題に社会学が何を提示しうるか、研究例会、大会を通して多くの参加者との活発な議論を期待している。
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日本に帰ってきてから、私にしてはかなり忙しくバタバタしております……。
4月1日(日)には、芹沢一也さん主催のセミナーに出席させて頂きます。以下に案内を転載させて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。
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セミナーのお知らせです
参加ご希望の方はkazuyaserizawa@yahoo.co.jp までお申し込みください
折り返し詳細をお知らせします
日時 4月1日 2時~5時
場所 Synodos(東急田園都市線駒沢大学)
定員 6名
費用 1万円(テキスト代含む)
講師 芹沢一也 高原基彰
タイトル 「ネオリベラル権力批判の陥穽」
少年犯罪と若年雇用という二人の研究領域において
芹沢一也 法と秩序、あるいは「法か秩序か」
かつて犯罪を起こした少年は一面的な保護の対象であった。だが
高原基彰 構造改革と「ふたつの墓堀人」
小泉政権以来、本格化した構造改革をめぐって、ふたつの認識が対
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3月10日に帰国しました。それからバタバタしているのですが……4月10日頃まで東京におりますので、よろしくお願いいたします。
そして先月、参加させて頂いた共著の本が出ました。
遠藤薫(編著)『グローバリゼーションと文化変容―音楽、 ファッション、労働からみる世界』世界思想社.
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%89%E5%AE%B9%E2%80%95%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%80%81%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%81%E5%8A%B4%E5%83%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C-%E9%81%A0%E8%97%A4-%E8%96%AB/dp/4790712370/ref=sr_1_1/503-2124143-9375923?ie=UTF8&s=books&qid=1173169937&sr=8-1
私の師匠である遠藤薫先生が前半部を担当し、後半部を若手が一章ずつ分担するという構成になっております。
私の担当分は、第五章「音楽イベントに現れた日韓ナショナリズムの相克――開発主義と文化実践をめぐる重層コンフリクト」 です。
大昔に大学院の紀要に書いて、アップロードされてるためか「見た」と言われる機会の比較的多い論文を、リヴァイズしたものです。正直元のものは(中略)すが、今回できたものは個人的に大変気に入っております。
他に、阿部真大、新雅史、木本玲一、大山昌彦の各氏が書いておられます。でもやっぱり、前半部で縦横無尽に炸裂する遠藤節が必見です。お見知りおきを、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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12ページです。錚々たる面々の中に、『不安型ナショナリズムの時代』の表紙まで載せて頂きまして、大変恐縮な思いです。
仲正昌樹さん、関係者の皆様、ならびに記事を送ってくれたKM林さんとS木さんに感謝申し上げます。
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あけましておめでとうございます。
旧年中は身辺にさまざまな変化があり、後半からは外国暮らしで、混乱しっ放しでしたが……。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
昨年10月から始まった、このラジオ番組。私もウェブサイトからダウンロードして、毎回聞いております。私はiriverを使っているんですけども。放送は毎週土曜8時だそうです。
http://www.tbsradio.jp/life/
パーソナリティの鈴木謙介さんとは、ひょんなことから昨年初めて会って以来のご縁ですね。ちょうど同い年だし、同じ業界(?)だし、共通点多いけど、でもすんごい異質な所もあって。話す度に刺激をもらっております。しっかししゃべりうまいなあ。
次回のテーマは、「失われた10年~Lost Generation?」だそうで。
クダンの朝日新聞の特集記事は、ウェブで見られなかったので、読んでないんですが……。
個人的に思うのは、古いものがもう維持不可能なのが分かった時、なんか「逃避」みたいなことばっかり言われてたなあ、と。なんであのタイミングが、もうちょっと違う方に物事を動かさなかったんだろう?
当時私が好きだったバンドなんかでも、急にトランスとかレイブとか言い出して、「あっちの世界」に行ってしまってですね。その後帰ってこない(笑)例が非常に多い。
同時に、変な共同体に閉じこもってアジールを作ろうとする人たちも、身近に結構いて……なんでそんなことで「乗り切れる」と思っていたのか、今となってはよく分からないんですが……。
90年代の文化というとそんなイメージがあって、それは人文社会系の大学とかにも大きな影響があったような気がして……かなり強い不信感を抱いて現在に至っておりますね。はい。
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遅くなってしまいましたが、現在発売中の「論座」10月号に、「召喚されるされるふたつの『墓堀人』」という文章を書かせて頂いております。出発前にさんざん頭を悩ませていたのがこれだったのですが……ご高評頂ければ光栄です。
ところで……ようやく風邪が全快したんですが、こっちでの生活は、全体的に「分かっちゃいたけど、やっぱ少々がっかり」みたいなことが多いですね。
まあ韓国が好きで来てる訳じゃなくて、仕事上必要だから来てる訳なんで、別にいいんですけども。そんな話はまた追い追いに……。
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昨日ソウルに着きました。1-2週間程度、知人の家に投宿するつもりなのですが、そこのPCが壊れていてですね……しばらくネット環境が悪くなりそうです。メールなどのお返事が遅れるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
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状況は相変わらず……しかし迷走していた案件はとりあえず一区切りついて……。
現在、韓国にて出席する予定のコンファレンスの、プロポーザルを作成中ですが、どこ出しても恥ずかしくないほど完全なやっつけモードです。実際のペーパーを頑張るので、勘弁してください。日本語だから関係者は見てないと思うけど……。
あと内輪の連絡を一つ……私に、本など、何か貸し物がおありの方は、早急にご一報下さい。そのまま行ってしまうと申し訳ないので……大体お返ししたと思うのですが……。
それはともかく。
現在発売中の「論座」10月号に、芹沢一也さんが拙著『不安型ナショナリズムの時代』の書評を書いて下さいました。大変光栄です。ありがとうございます。
また、北海道新聞の8月1日夕刊、西日本新聞の11日朝刊に、「”正社員信仰”こそ問題--就職の構造変動 認識を」という記事を書かせて頂きました。この文章、読み直すとちょっと言い過ぎの部分もあるけど、言い切らないと伝わらないし……本人は大変気に入っております。
ところで。
明日の朝日新聞に、私のインタビューの入った記事が載るはずです。ここであらかじめ言っておきます。おそらくそこで私の発言とされているものは、もともと12万字(新書一冊分)、実際会話にしてみたら3時間くらいありました。新聞記事とは、記者さんがそこから数十字をピックアップしてできるものです。もしアンテナに引っかかった人がいたら、私の本も合わせて読んで下さい。いわゆる「話をするなら、それからだ」です。はい。
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恐縮です。
結局いろいろ溜まってしまった……上に、渡航の準備とか、後任者への仕事引継ぎとかが折り重なって、正直死にそうです。
韓国には26日の昼に発つことになりました。とりあえず、ソウル大学校内の寮の部屋がもらえるらしいので、当座はそこに滞在することになります。新しい連絡先など決まりましたら、追って連絡させて下さい。パッキングとかする時間、半日くらいしかないんだろうな……。
そして渡韓前の最後になりそうな某案件が、過去最高の迷走状態です。うう……。ボールペンと憂鬱のエキスパート、その道楽が、前へ前へともがく。
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7月19日(もう本日ですね)午後2時より、国際大学GLOCOMのIECPにて、発表をさせて頂きます。告知が遅れまして大変申し訳ありません……。どうぞよろしくお願いいたします。
http://www.glocom.ac.jp/IECP/
ところで、最近、また妙に忙しくなってきまして……ありがたいことなのですが、他方で胃腸に軽い異変を覚えたりもしております。まあ、30歳の夏なんて、そんなものなのでしょう(遠い目)。
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私事で恐縮ですが、最近、急速にすべてがどうでも良くなっている。いわゆる「プチ欝」に近い状態やもしれん。
これまで、こういうのはヒマな時に起きることが多かったんだが、いろいろ溜まってるのにこうなるのは初めてだなあ。どーしたもんだか。
突然ろくでもないことを書き始めたりしそうだったので、必要なこと以外は更新しないようにしてたんですが……なんとなく書きたくなってきたので、更新頻度を上げようと思っている、初夏の夜更け。
こないだの週末は、「カルチュラル・タイフーン」という文化研究のイベント(漠然)にお邪魔してきた。イベント自体については、内輪でさんざっぱらしゃべったので、省略。
私は発表などはしなかったのですけども、スタッフや発表者に先輩・同窓生・後輩が数多くおり、いろいろな再会がありました。
特に……シン・ヒョンジュン(聖公会大学校)という、結構よく知られた韓国の文化評論家の先生がいるんですが……最近ソウルでもお世話になる機会が増えている。文化研究の韓国代表の一人でもあって、今回もやって来られました。
彼は非常に「黒い」というか、ニヒリストで皮肉屋みたいな所があるんですが、そんな所が個人的に自分と近い気がして、私のすごく慕っている人。日本の教授陣には、あんまこういう人いないよなあ。
イベントが終わった後日、「何かライブが観たい」とおっしゃるので、ちょうどやっていた「渋さ知らズ」にお連れした。オーケストラじゃなかったから、客はあんまいなかったが、やっぱ良いなあ。渋さ知らズ。
彼らのホームが吉祥寺ということもあり、何となく因縁を感じるグループのひとつ。因縁の淵源の一つである居酒屋「ミシシッピ」は、数年前に閉店になりました。みんなどうしてるのかなあ。たぶん二度と、みんなに会うことはないのでしょうけどもね。みんなはそう思わないかもしれないけど、私は、我々すべての幸福を祈っているつもりです。
出会いの後には別れがある。vice versa。みたいな最近のおれ。相変わらず私事ですみません。
シン先生には……「他人の文句を言うな、お前はお前の道を行け」と言われました。それを聞いた私は、ノーブレインのイ・ソンウに説教された時と同じように、泣き出しそうになりました。やはり吉祥寺と共に、ソウルのホンデという街は、私と因縁があるのかもしれません。何かしらの形で、ケリをつけなければいけないのでしょうね……。ソウル、待ってろよこのやろう。
ええと、やっぱりろくでもない方向に向かってきたので、この辺で……。
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最後のページ「われ発見せり」に短文を書かせて頂きました。 マスダ兄貴に多謝。
「後期近代と社会分断にまつわる挿話」と、大仰なタイトルが ついていますが、中身は私が吉祥寺によく出入りしていた頃の思い出話です。『不安型ナショナリズムの時代』にちょこっと書いた、日本のCSへの違和感とか、「パラサイト・シングル」論への違和感とかの、背景をなす自分史(笑)です。
なんか一部でいろいろ言われそうな気もするので、ここにあらかじめ書いておく。私は誰の味方をしたい訳でも、誰の悪口を言いたい訳でもない。 私は私の立場から「見えること」、かつ「世に問うて意味ありそうなこと」を文字に書き起こしているだけです。なぜならそれが私の仕事だからです。はい。
ところで、先日ある会合にて、「あの……こんなこと聞いて良いのか分かんないけど」と前置きされ、「え?何ですか」と応答したら、「働こうとか思ったことないんですか」と言われました(笑)。えーと、一応働いてるつもりなんですけどね。残るいろいろの心情も、仕事として書いていくことにします。はい。
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今発売中の『中央公論』4月号に、「創造性で稼げない若者の苦悩」という論考を寄稿させて頂いております。3回ほど書評群をここにアップしていた、その結果がこれです。告知が遅れまして申し訳ないです。
前回の話から書き足したいこともいろいろあるんですが……私は、明16日から23日までソウルに行っております。メールはちょくちょく見られます。結構久しぶりだから楽しみだな~。
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いろいろなお仕事が一段落して、多少燃え尽き感のある今日この頃。反応が楽しみだなあ。
ところで、いろいろな説明を飛ばしてざっくばらんに言うと、構造改革や雇用変動をめぐるいまの日本の議論は、「昔の分配システムの方が良かった」派と、「さらなる改革を求める」派に割れていると思う。
そしてこれは、旧来の日本の保守/革新という分類とは、あまり関係がない。戦争責任とか、女性やマイノリティ問題についてのことでありがちだった旧来の左右対立は、この軸で再編成されていくんだろう。そのこと自体は当然だと思う。
これは、いわゆる左翼(社会民主主義)/右翼(市場重視)という分類に近いけれども、いろいろずれる点もある。
まず明らかなのは、「安寧秩序に満ちた社会」(会社主義がそのテコだったことは過去にいろいろ書いた)というのが国の自画像になった日本では、市場主義=右翼ではまったくなくて、何かしら市場に異議を申し立てるのが「右」であること。要するに左右がまったく逆になっている訳だ。むしろ経済界の上層部など(まあそれにもいろいろいるけど)は「右」に対して批判的なことを言う人が多いと思う。つまり階級意識とかではまったく説明できないことが多い。
そしてこういう構図はほんとに旧共産圏と似ていると思う。当然と言えば当然だけど。
では日本の「左」というのが何を言っているかと言うと、「護憲」とか「マルチチュード」とか「NO WAR」とか、そういうこと。私は「マルチチュード」という言葉は、こっちの行政にとっくに先取りされている--低コストで調達できる実行部隊として市民の自発性が各所でもてはやされている--現状では、まったく無益というか、有害なんじゃないかとすら思っている。まあ別にいいんですけど。
その上で、たとえばフリーターの悲惨な現状について述べる、あるいはそれについて考えるブログやウェブサイトは、かなりの大きさのシーンを形成している。
しかしそういう思考が、ただの「事例収集」である限りは、残念だが大して意味はないと思う。何かしら、大きな枠組みに話を持っていく必要がある。それは制度的な側面(雇用法制とか)か、イデオロギーやレトリックの方面か、になると思うけど。
彼らの主張にもいろいろあると思うが……要するに、彼らの意図は巨視的には「昔の分配システムの方が良かった派への批判」なのであり、その点を明確に認識すべきだと思う。上下左右いろいろな人が言っている、「既得権益の崩壊の仕方の問題」とか、そういうことだ。その下部に位置する、微細ないろいろに拘泥していても仕方がないだろう。私が外から見ている限り。
同時に、今言った意味での「右」「左」というのも、当然もっと細かく腑分けされる必要があり、争点を整理する作業も必要になってくる。
私は制度的な側面については、まだ専門的な議論を展開できる実力がない。差し当たり、どちらかと言えばイデオロギー的な意味で、「昔の分配システムの良さ」を最も完成度の高い形で理論化したのが、村上泰亮『反古典の政治経済学』である。(さらにその背後には、ダニエル・ベル『脱工業化社会の到来』『資本主義の文化的矛盾』が透けて見える)
「昔の分配システムの良さ」を強調する--単純な伝統復古派とか嫌韓・嫌中とかのバカとは関係のない所で、経済学の立場から「右」を志向する--人々の言動の後ろには、常に村上泰亮の亡霊がいる。
その上で思うのは……私は村上の著作に大いに啓発された者の一人なので、あえて言うけど、「村上先生の言っていたのは、そんなことではない」ということだ。彼は、「開発主義」というのはいずれ役割を終えるもの、終えるべきものであり、それ自体が自己目的とされるべきではない、と書いてあの大部の書を閉じたのではなかったろうか。
「昔の分配モデル」とか「会社主義」を称揚する人々の議論を、どうも胡散臭い--それは私の日常実感だけじゃなくて、学問・理論として胡散臭い--と思うのも、そのためだ。
他方の、フリーターなどを「問題」として語る志向を持っている人々も、「マルチチュード」とかじゃなくて、まず村上を読むのが有用だと思う。私も、これまでの書き物ではあんまり消化できていないので……今後しばらくは村上を起点にいろいろ考えようかと思っている。よく分からない宣言(笑)で恐縮なんですけども。はい。
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ちょっとノーブレインについて書かないといけない案件がある。その文章を見た人&自分を主な対象に、注釈というか、覚書みたいのを書いておく。
ノーブレインは、こっちで言う「青春パンク」みたいな位置づけにあって、そんなにバカ売れしてる訳じゃないけど、若い人なら大体とりあえず名前を知ってるぐらいに有名な、韓国のロックバンドである。
あちらではパンクの第一世代に当たっていて、要するに「韓国のブルーハーツ」であると言えばそんなに間違いはないと思う。
そのボーカルはイ・ソンウと言って、私の唯一無二の親友であり、義兄弟の仲である(向こうはそうでもなかったりして笑)。ノーブレインは青春を歌うバンドであるが、ノーブレインはすなわち私の青春でもある。
彼との出会いは98年に遡る。当時のソウルは「インディーズ・ブーム」(こっちで言う昔のバンドブームみたいなもの)に沸いていて、ノーブレインのソンウはその中心人物の一人だった。
当時の彼はまだ、突如として自分が置かれることになった立場に慣れておらず、まだ弱々しい雰囲気を持っていた。しかしその後数年経つ中で、彼は自分の立場を引き受けることを学び、堂々したロック・スターの風格を漂わせるようになっていった。
そして2002年か3年かそこら。当時私は、仕事も私生活も、すべてがうまくいっておらず(まあ今でもそんなにうまくいってないけど)、誰の目にもあからさまな欝状態にあった。
どうして良いか分からなかった私は、現実逃避として何度目かのソウル行きを決めた。以前から、ソウルでの宿は彼の家(というか彼の義弟分チョン・ミンジュンとの共同部屋)だったので、ほぼチケット代しかかからなかった。
彼は仕事の合間を縫って、私を飲みに連れて行ったり、クラブに連れて行ったりしてくれたが、私はあんまり楽しめないでいた。ハタ目にも分かるみたいで、「顔色が冴えないね」とよく言われたりした。
そんなある深夜、彼は「歌を作るから一緒に来い」と言って、アコースティック・ギターを持って近所の公園に私を連れ出した。彼は自分の作った歌を歌い、「どうだ」と聞いた。私は「いいね」とか何とか、あいまいな返事をした。
すると彼はギターを置いて言った。
「モト君、おれはお前よりも少しだけ世の中のことを知っているつもりだ。そのおれが見るに、お前はいつか必ず、みんなに恐がられるような存在になるよ。おれには分るんだ。
なのにお前は何だ。いつも怯えてばかりいる。誰かに『やられる』ことばっかり考えてる。そうじゃないだろう。お前がみんなを『やっちまう』んだよ。お前はそのための方法だけ、考えていればいいんだ。落ち込んでるヒマがどこにあるっていうんだ」
まったく恥ずかしい話だが、これを聞いた私は、肩を震わせて泣いた。その肩を彼は抱いてくれた。そして「モト君、人生は一度だけなんだよ」と言った。
これまであまり人に話したことはないけれども、私の中ではこの瞬間が一つの「転機」だったのかもなあ、と振り返って思う。
もちろんこれは、たぶん誰でも2つや3つは持っている、小さな「転機」のエピソードに過ぎない。私にとってそういう「転機」のいくつかは、ソウルのホンデという街でもたらされた。私は、韓国に住んだこともないし専門家でもないけど、「私の存在の何割かはソウルで社会化されたものである」と自信を持って言える。
そして私が、東アジア、とりわけ日韓関係について何か考える時には、「彼と私をつないできたものとは何か」という関心がいつもベースになっている。それは「親日とか反日とか」いうのとはまったく関係ないし、日韓文化交流でもないし、単純に音楽の好みとも思えない。かといって「ココロの友情」とかいうのに還元してしまうのは、もったいない。
いろいろ文脈化してみることはできる。一例を挙げれば、97年以後数年のこの間、韓国では現在の日本の「小泉改革」に比すべき、しかしもっとあからさまな形で「金大中改革」の嵐が吹き荒れていた。中以上の階層の出身者の多いサブカルチャーの世界だけを見ても、それは明らかだった。
たとえばイ・ソンウのお父さんは、慶尚南道のマサン(馬山)で、中規模の会社の社長さんだった。しかし「改革」の中で会社は潰れてしまい、お父さんはタクシー運転手になった。
彼の義弟分のチョン・ミンジュン(いろいろ紆余曲折あって、ノーブレインの現ギタリストでもある)の場合は、もっとはっきりしている。彼のお父さんは、大手銀行の支店長だった。しかし銀行の統廃合の中でリストラされ、一家はそれなりに蓄積していた資産を使い、アメリカで心機一転テリヤキ・ショップを開店する道を選んだ。
しかし若きミンジュンは移住を嫌がった。ご両親はそれを理解し、資産の中から彼にワンルーム・マンションの頭金を残し、アメリカへ去った。その後ミンジュンは、独りアパートの中で、ソンウと出会うまで長い憂鬱に沈んでいくことになる。
サブカルチャーのシーンに、行き場のない大学生が大量に流入してきたり、かつては「どこかに卒業」していったであろう年長層がどんどん溜まっていったりし始めたのも、この時期だった。
こんな話、というかもっと悲惨な話はもちろんいくらでもある。そういう空気の中で、ソンウやミンジュンは、職業ミュージシャンとしての自覚に目覚め、要するに「文化的アントレプレナーシップ」みたいなものの必要性を肌で感じるようになっていった。
当時私は意識していなかったけども、私は自分の「欝」と彼らの姿とを、照らし合わせていたのだと思う。もちろん私は今、美しい側面ばかりを書いている。その裏には激烈な地獄があった。私はそれも知っているつもり。第一ノーブレインだって今はそこそこ食えているけども、いつまで持つかまったく分からない。彼らもそれを知っている。
だけれども、こういう流れを避けることはできないし、避けようとすればむしろ「欝」しか待っていない。そんな感覚を、私はソウルで、ソンウたちを通して身に付けたんだと思う。
もう一つ付け加えれば、ソンウやミンジュンが「自分は両親とずっと仲が悪く、音楽をやることにも反対されていたけども、お互い苦しい時代になって、初めて理解し合えるようになった」とよく言っていたのも思い出す。
そして私は、日本のオヤジが「世代」を語り出す時とか、Jラップが「オヤジはすげえぜ」と言い始める時とかに、「ハアアとため息をつきたくなる」のである。まあ別にいいけど。
他方、自分が(まだペエペエペエですが)たまに教壇に立つようになってよく感じるのは、若い奴らに、「こいつは既得権益にあぐらをかこうとしているのか、それとも個として戦おうとしているのか」、「見られている」ということだ。
「韓国のあの空気」は、すでに日本にも訪れている。まだ局所的かもしれないけれど。それは「良いとか悪いとか」じゃなくて「当然」のことだと思う。たぶん「良い」と言っても「悪い」と言ってもウソになる。で、その次に来るのは何か。それを確かめに、私はまたソウルや北京に足を運ぼうと思うのである。
昨今の違法建築の問題とかもそうだけど、「日本の今の問題」はすでに「中韓で10年くらい前に起きたこと」とまずアタリをつけて良いくらい、昔の「段階論」というのは逆倒しになっている。それはなぜか。みたいなことをもう一つの案件に書こうと思っているけど……ふううう
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金曜日はまたしても「たぶんどこ出しても恥ずかしくない激務」で、帰ったらすぐに寝てそれから10時間ほど起きなかった。まあ後半は、激務とか関係ない「単なる寝坊」。ま、土曜だからいいんじゃね。
ビデオを貸してもらったN先生は、ご多忙らしくお話できなかった。
そして今日は……もちろん家で書き物・調べ物。遊びに行きてえなあ。時間は作ろうと思えばまああるのだが、遊ぶような「友達がいない」から、結局「家で作業すんべ」に落ち着く週末がすっかり定着した最近の私。すいませんどうでもいい話で。
ところで、こないだの内輪の会合でもちらりと出たこの話題。最近の学生さんを見ていると、フリーターに対する妙な「上から目線」を感じる。「あいつらはバカだ」と。そして彼らの発想が向くのは「正社員」である。「おれは正社員になるからあいつらみたいにはならない」と。それがごく普通の若者の心情となりつつあるように思う。
そして「正社員」になるために「スキル」を磨くことになる。教育機関にもそれを欲する。「すぐ就職に役立つスキルを」という話になる。
個人的には、これはすごく危ないと思う。このブログですでに何度も使った「ダンピー」という言葉があるけども、「すぐに役立つスキル」で就職できる先というのは「専門職」である。これは一見聞こえがいいが、特にITを中心とした近年の「専門職」というのは、「熟練労働」のイメージのあった昔のそれではない。「使い捨て労働力」以外何物でもない職種も多い。こうした「専門職の下降移動」というのは、世界中どこでも起きてきたことである。
「フリーターか正社員か」というのは、実は根本的な差異ではない。後者だって、名前はそうなっていても、福利厚生を削って、解雇が容易だったら何もフリーターと変わらない。
「フリーターはどうも危ないらしい」という情報が一通り行き渡った後、その代案がいまだに「正社員」しか思いつかれないこと。こちらの方がよほど問題だと思う。
最近「就職が良くなっている」という。確かにそうらしい。しかし私が見聞する所では、「正社員」というのも昔のそれではないのが明らかである。月収15万などというのはザラである。
そしてたぶん、会社を移らないなら何歳になっても給料そのままだろう。私の同年代でも、「給料が上がらない」とボヤいている人が多い。率直に言えば、上がる訳がないのである。ただ同じ会社にいるだけで、年が経つに連れ給料の上がっていった時代が「異常」だったのであり、「異常」と言って悪ければ「社会主義」だったのである。
村上泰亮が言うように、それは「追いつき型産業化」というのが「国民的な合意」であり、その一点を雇用者も被雇用者も共有していた時代、かつ冷戦体制の恩恵のもとで「追いつき型産業化」が「実現可能」だったという、戦後日本独特の時代背景の産物である。
そのどちらの条件も既にない。その上で、「そのままでもたぶん辞めない」と分かっている従業員に対し、特に何のインセンティヴもないのに「給料を上げる」雇用者がどこにいるのだろうか。なぜそういう期待を持つ人がこれほど多くいるのか。そちらの方が理解できない。今雇用者が「給料を上げる」のは、「成果を上げた時」なんかではまったくなく、会社という枠でない形の労働市場がある場合、その中で「これ以上払わないと他社に引き抜かれてしまう」時だけであり、だからこそ個々の労働者はそれを前提に「より給料の高い会社を目指して頑張る」のが、当たり前だと思うのだが。
なぜ、これだけ「サヨク」が叩かれている今(笑)、古臭い日本型労組モデルが人々の頭の中に残っているのだろうか。たぶん、もうそれはフリーターの排除云々以前に、すべての労働者の機会を奪うものだとしか思えないのだが。
また、なぜ「大学新卒で即正社員モデル」というのが、いまだに「標準」たり得ると、堅固に信じられているのか。「新卒の正社員就職率」というのに、なぜこれほどすべての関係者が固執しているのか。言い換えれば、なぜとっくに消滅した再分配システムに対する信頼が揺らがないのか。
私は、今の日本で生じていることというのは、旧東欧圏で起きたこととかと比較されるべきことなのだと思う。確かに誰もそれを「社会主義」とは呼ばなかったし、別にそう呼ぶ必要もないのかもしれない。だが、たぶん70年代半ばくらいを境に「明らかに日本は他の資本主義国と違う道をたどった」。
そのまま30年近く経ってしまった現在、たぶん事態はかつての旧東欧圏とか中国とかより、ひどい。旧体制が「社会主義」などという形で「名指し」されていないからである。それならその崩壊を認識することができる。しかし少なくともマスなレベルでは、何とも名指されていない。だからフリーターなどという特定集団ばかりが名指され、疑似問題ばかりが提供されていく。「何かおかしい」けど「あいつらさえまともになれば何とかなる」という訳だ。しかしその「まとも」というのが既に実現不可能であることを、誰も言わない。
毛沢東とか金日成とか韓国民族主義とかの虚像を暴いて(そういう話の大部分は「まともな人なら誰でも知っていたこと」を、さも今大発見されたかのように言い立てているだけなのだが)溜飲を下げている場合ではない。私は今の日本の方が「よほど怖い」。
ところで、話が変わるが、その中国では「社会主義」が終わったことは誰の目にも明らかになっている。誰もがおおっぴらに口にしている。そしてどうなったか。
現在の中国の若者に「政治」という単語を出したら、ほぼ100%「ああ政治には興味ありませんから」と言われる。普通選挙もない中国では、「政治」というのはすなわち「共産党周辺」のこと(日本の中国ウォッチャーが好きなもの)であり、幹部でもない限りそこに参加することはできない。共産党が打倒されることも近未来にはないだろう。だから「政治には興味がない」。
そこで彼らの向かう先は、これまた「スキル」である。国有企業などすでに社会主義の遺物である。大事なのはスキルを得て金を稼ぐこと。その金で会社を起こすこと。これが社会に広くコンセンサスとして成立している点で、私は「日本よりマシ」だと思う。
しかしその近視眼的な「スキル」というのは、ほとんどの場合自分を「下降移動する専門職」にする以外の役には立たない。会社を立てて成功するために必要なのは、必ずしもプログラミングの知識でも語学力でもネットワーク構築技術でもない。そして現在では、いったん成功しても「名誉職」などというものに「殿堂入り」できる訳ではなく、絶え間ない流動性に適応できなければならない。「スキル」志向がそういう人間を作り出すだろうか。私はそうは思わない。
中国の若者は「経済成長の躁」と「政治的・社会的無力感の欝」に引き裂かれる存在になっていると思うけど、「スキル」信仰はその裂け目の中から生じている。政治的に無力だから、経済成長に乗る形で自己防衛しないといけないと考えている。それは間違っていない。だが、ごく一部を除けば「あんまり自己防衛になっていない」、というか、たまたまうまい職歴ルートに乗っかるかどうかという運の問題になりつつある。
「政治的無力感の欝」は、日本にも共通する問題で、この事態は基本的に日本でも相似形で進行中だと思う。違うのは、もう「経済成長」に誰も期待していないから、「今までの稼ぎを奪い合う」ことに意識が向いていることだけだ。
ちなみに私の余り話せない方の師匠(笑)は、日本でも中国でも韓国でも、[『近代化』にともなう時間的差異が横倒しになって」おり、具体的には「農本主義」というのが共通パターンとして取り出せるのであり、「政治的無力感」の背後にこれを見出そう、と最近考えているらしかった。
確かに、日本の国会議員のうち「なぜこの人が当選したのだろう」→「どうせバカばっかり当選するんだから選挙なんか行かない」というのは、長らくごく普通の風景になっている。また中国共産党の使う、内実のよく分からない、だから外国のウォッチャーにはバカにされる言語の多くは「農村幹部」を説得する目的で編み出されているものであり、そうした論理で推移する「政治」に都市民は関心を失っている。そこには、「中国は非民主国だ」とかいう、バカの一つ覚えみたいな「他山の石」論(日本はかつてこれを欧米相手にやって大失敗して今に至っているのだが)には決して見えない共通性がある。
「農本主義」とか言い出すとあまりに面倒なので私はタッチしたくないんだけども、一つだけ確実なのは、「旧来の制度が内部からはよく改革されないことが明らかになった時、その時点での既得権益層と、その他の層の利害が極端に分裂していく。そしてその他の層には、旧来の制度を保持する利益がもう得られないと認識されるので、欧米などよりもよほど激烈な個人化が進行していく」ということである。
で、どうするか。私には分からない。というか今書いてること事態まったくただの思いつきで、まったく適当に書いてるので、来週には変わってるかもしれない(爆)。何度も言うけど、いいんだ、おれのブログだから。
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私には師匠的な存在が二人おりまして、本日はその二人に連続で会うという、極めて珍しい日だった。
何でも話せるE先生からは、先日プリンタを格安で譲って頂いた。わーい。そして本日も不甲斐ない原稿にコメントして頂いて、たぶん近年の私が「一番お世話になっている人」。
余り話せないK先生(笑)は、いろいろあるけれども、最近の私のことを意外にそこそこ買ってくれているらしかった。ま、えじゃないか。
ところで、これは非常勤先の先生にビデオを貸して頂いた、1983年の中国映画。数週間ほど前にお借りしたのだが、いろいろあって全然時間がなく、今日ようやく観られた。
以前にもちらほら触れた、文革後の「下放→待業青年」たちの苦労や苦悩が描かれている。都市に戻った後に「個体戸」として零細起業し、親からは「国営の方が安定しているのに」などと言われても、息子は「国の政策は変わるよ、四人組が打倒された時だってすべてが変わったじゃないか」と反論したりする。
……というような時代背景の元、これも非常によくあったんじゃないかとおぼしき、悲しい過去を背負った女性と、心優しい青年との恋物語が展開される。
活字でいろいろ読んでいたものが映像化されていて、「なるほどこういうことかあ」などと思う箇所がいろいろ。個体戸、下放、単位、生活委員会などなど……。この先生のおすすめにはハズレがない。
……まあ細かく言うとイデオロギー的な所もあったりするんでしょうが、かなり素で「いい映画だなあ」と思いました。細かいことを明日先生にいろいろ聞こう。そうしよう。
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こないだ頂いたお仕事は、何とか決着を見たようだ。ありがとうございますー。
あと、3つくらい並行して進めないといかん。たぶん1つか2つしか終わらなそうだけど……。終わらなくても自分が損するだけというタイプの仕事はどうしても後回しになるが、そっちの方が業界的には大事とされていたりする訳で……困ったもんです。本当に。
金曜日は例によって「結構激務な日」で、「帰路の電車内で寝込んでしまって乗り過ごす」のがもはやデフォルトになっている。この日しか使わない路線だから、体が慣れていないんだけど、だらしないですね。はい。
土曜は日韓Oi Festivalというのに行って来た。
http://sound.jp/gunyu/oifes.html
オールナイトだったんだが、「どう考えても朝まではムリ」なので、半分少し前くらいで退席。
でも旧知の人々にいろいろ会えて良かった。韓国でもんのすごくいろいろあったRUXのウォン・ジョンヒは、いつもながら疲れていたけども元気で、経営も続けられているらしい。RUXの前のギターのパク・コヌはやっぱり日本に来ていて、会場にもいたけど、来月初めには韓国に帰るらしい。
日本のこの界隈というのは、「本当に労働者階級になった人々」が、他に仕事を持ちながらやってる趣味空間なのがもう明らかなんだけども、韓国サイドの空気感はちょっと違う。でもどんどんこっちに近づいているのは確か。
当人たちがそれで良いなら良いんだけど、それにしてもRUXはもったいないことをした、と思わざるを得ない。おれなんかの仕事も、他人事じゃないけど……。
そんな「今に生きるあれこれ」を文章化しようとして、失敗し続けています。ちょっとダウナーな日曜日です。はい。
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月曜の勤務先の某オヒスの健康診断結果が上がってきました。肝臓のガンマなんちゃら値が、通常よりやや高めなので「禁酒しろ」とのことです。
私は、毎日一人で寝酒を飲む習慣がある。酒飲む時の9割は一人である(笑)。しかしそうやってると酒がどんどん弱くなる。なぜなら、「飲む=もう後は寝るだけなので心を裸にして良い(爆)」というのがインプットされていて、たまに誰かと飲みに行くと「結構すぐ悪酔いしたりする」から。
今夜も、「あなたが、すきだから~」でおなじみのチャミスル(しかし韓国バージョンの緑小瓶)を飲みながら、もう寝る間際の午前1:30に更新したりしている。
関係ないが、そのオヒスで同室のM田女史へ、昼休みなどに書きかけの原稿を見せると「ケチョンケチョンにやり込められる」、いやもとい「本音の貴重なコメントが聞ける」というサブ効能がある。いつもありがとうございます。また次のもよろしくです。本当に。
そしてSAPIO今週号(もう先週号?)のこの特集。思いのほか面白い。やはり団塊と若年層の世代間対立とかいうのは、もう後景に引いているのかもしれない。他の先進国との比較に議論を開いていったりしないと、どうにもならないのだろう。
レーガン・サッチャーから20年遅れで、しかもそれらをはるかに凌ぐ冷酷さで進行していると「小泉改革」を断じる森永卓郎。年収の割に生活水準が低い(物価が高すぎる)ことこそ問題だとする大前研一。サッチャリズムとは実は「階級の壁を自由化によって壊した」ものでもあると論じる林信吾。あとドイツ、中国その他の「格差事情」の紹介。
そういう面白い記事が並んでいる中で、一人気を吐いているのが「例の彼」。題して「チンパンジーと酷似する『出あるき族』ほかケータイによる『日本人のサル化』はさらに進んだ」。なぜ「彼」に依頼が出てしまったのだろうか。そこにだけ悔いが残るこの特集。
それにしても……「足を乗せればすぐ消えるはしご」が満載のこの界隈。さあ一体どうする。どう考えても「時代的に違う」ことが「一緒に生じている」んだから、それもしょうがないんだよな、たぶん。ぬるい感じですが、もう寝ます。はい。
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コメントがまったくつかないことで内輪では有名な(うそ)このブログ。
本日はただのグチ。某御大に「今○○を書いている」と言ったら、即答で「それは正規雇用されてからでいいんじゃないか」と言われた。
その「正規雇用」って何でしょうね。今の日本ではその観念がまだ厳然と残っている。だけれどもそんなのは世界中でたぶん日本だけ。積極的な行動で有名になった人が、高い年棒をもらうのが今の世界の常識であり、卵たちはそれを目指すのが普通である。これは「私の周囲の世界」に限ったことではまったくない。韓国だって中国だって、もうそうなんだけど。
今の日本では、「福祉」の享受という以外に、生き延びる術がないんだろうか。正確に言うと、かなりの程度「人為的に」そういう環境が作られている。それによって得をする人は、世代も糞も関係なく「ただの一人もいやしない」。みんなをゆっくり沈めていくだけだ。だけどそういう構図が厳然と残っている。誰もそれについて何も言わない。不思議で仕方がない。
自浄作用のない組織は、外から改革されるしかない。しかしそういう改革者は内部の論理に何も頓着しないので、「いきなりすべてあぼーん」方式になる。それよりは、痛みを伴うにしても、内部の論理で改革をした方がいいに決まっている。だけど誰も動かない。だったら、いずれ改革者がやってきて、すべてをぶっ壊すだろう。これは、韓国社会が総体として経験したことでもある。
私はそれによって得をする立場にない。しかし「ゆっくり沈んでいく」よりは、「少なくともあいつらだけが生き残るということのない」「いきなりあぼーん方式」の方がまだマシだ。こういう感情も「私の周囲の世界」に限ったことではまったくない。
外資がどうのとか、ファンドがどうのとか、都市型保守がどうのとか、ゴミみたいな御託を並べてる連中は、何一つこういう現代の心象風景をすくい上げられていない。
そういう心象は、多くの人々にとって「もう日本はダメだ」という言葉でしか表現ができない。それは語彙の欠如とかいう問題じゃなくて、そういう人々の直感の方がゴミ御託よりもよっぽど正当なのである。
なのに「新しい保守に回収されない日本語を開発せねばならない」とか言ってる、高村薫みたいなゴミ(私と直接関係ない人は実名:笑)とか、「ネオリベラリズムが席巻している」とかいうIHみたいなゴミとか、「まったりした日常を救済せねばならない」とか言ってるゴミとか、そういうのばかりがメディアに登場する。私を含め、人々の絶望は深まるばかりと言う他ない。どうにかならないんですかね、本当に。
だからこそ、おいお前ら、おれたちの出番なんだよ!
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矢吹晋,1989,『文化大革命』講談社.
中島嶺雄,1981→2002,『北京烈烈』講談社.
いまごろこういう本を読んでいるのは我ながら非常に問題だと思う。そして途中から薄々気付いていたが、「文革とその後」というネタの鉱脈は思ったより浅い。というか方向的にそっちじゃないかも。でも「そっちじゃない方」を厳密に書いているときりがない。さらーりと済ませよう。そうしよう。
いよいよお尻に火がついている今日この頃、同僚のAM氏と一緒に過ごす時間が妙に多い。しかし最近ダウナー気味のAM氏。
まあ「欝になるなと言うのがムリ」な昨今のこの界隈、「焦らず妬まずダマされず」、しかし前のめりにつんのめって行きましょう。生ぬるいお湯を与えられて「頑張った つもりでいたら ゴミ人生」の先達とその予備軍を、妬む必要などないのだ。私はそう思って何とかやってます。はい。
先週末には、一応日本人だがすでに半分韓国人、というか永遠のマージナル・マンとも言うべきヒョンニムが、ソウルからやってきて一冊の本を手渡してくれた。これ通読するのは相当気合がいりますね。語学は近年ものすごい勢いでサボり気味だが、将来のこと(エクソダス系)とか考えても三面作戦で頑張らないといけないなと思いつつ、もんのすごく眠い初冬の午前1:30。
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いろいろ話していて思ったのだが、ここでつらつら書いているような問題は、驚くほど似た形でアチラでも生じているらしい。
しかし一番違うのは、やっぱり「移民」というファクターがあること。たとえば郊外開発。アチラでは移民に対する公的な住宅提供として、郊外に団地を建てた。80年代初頭くらいのハナシ。すると、住む家はできたが、そこにはロクな仕事場もなければ大した学校もなかった。
移民一世は、住む家ができた時点で満足した人が多い。だけれども二世は自分たちの相対的な貧困に対する不満を蓄積させていく。団地は老朽化していくが、自分たちで改装する金はない。そして彼らには「人生の選択肢」もものすごく限られている。
そんな経緯で、治安悪化の懸念対象となったりするのは大体二世の若者であり、それは彼ら自身の意志というより構造的な問題である。そして昨今のパリ暴動の背景をなしているのも、こういう「移民への福祉としての郊外ゲットー化」であることは言うまでもない。
今現在、ヨーロッパでは移民といえばまず東欧人であり、旧植民地から来た黒人の問題は後景に引いている(こういう「ゲットー」に追いやられたということかもしれない)。そして東欧人はまだ一世だからこういう問題があんまり生じていないが、彼らにも同じことが繰り返されている気もする……というような話。
『要塞都市LA』(社会学とか興味ある人には確実に全員必読の本)とか見てると、アメリカでも「住宅供給公社」の施策による、こういう「福祉としてのゲットー化」みたいなことがあったみたいですね。でもそれは郊外じゃなくて都心部=インナーシティの再開発が主であったようだ。
こういう話を、たとえば三浦展の『下流社会』と比較してみたらどうか。私は、「フリーター」というのは「欧米モデルでは移民がやっていた下層サービス業を、自国民の内部から調達したもの」だと思っているのだが、「郊外のファスト風土化」とかいうのも、より緻密に見てみると、というか他国と比較したりすれば、いろいろ面白いことが出てくると思う。
そして思うのだが、父子関係の比喩で理解されるような「世代間格差」というのは、たぶん「ほんとは移民とか人種みたいな、いろいろ深刻な政治的差異に貫かれるはずだった事態」が、日本では「世代くらいしか認識可能な差異がなかった」という所に呼び出された、まったくの疑似問題なんじゃないか。
「格差」の手がかりとして最初に必要だった話題ではあると思うが、これ以上世代問題に拘泥すると「疑似問題の上塗り」になってしまうような気がするな。韓国・中国を含め、こういう形で「世代」というのが広く話題になってるのは日本くらい、というのも何となく分る(いや韓国は多少似た話題があるか?)。いつもながら単なる思い付きですけど。
そんでまた余計なことを言えば、私が三浦展の本を割と好きなのは、「これまで日本では確かに語られなかったこと」を言っており、「今日的な問題に展開されていく可能性」を持っていると思うからであり、くだらないことの緻密な統計処理とか文献解読とか、あるいはいまだに「コミュニケーションがどうのこうの」とか言っている奴が彼の悪口を言うのは本当にどうかと思う。
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公式サイトはこちら。
http://www.bitters.co.jp/sekai/index.html
久々に映画というものを観に行った。姉貴の情報提供に感謝。おれから発信する情報があんまりなくてすみません。
あらすじなどは公式サイトに任せるが、重要なのは:
登場人物がほぼすべて、農村から北京に出稼ぎに来た農民であること。また、こうした下層サービス労働をやっているのが中国の都市では彼ら出稼ぎ者であり、彼らは、中国ではこれまで一種の「発展の不可抗力」であり「都市のアウトカースト」であったこと。その意味で「漠然とした将来不安」を抱いている日本の若年層とかの話とはかなりニュアンスが違うこと。その人たちも「実存的悩み」を感じているという「主体性」を描いた、「かなり政治的にラディカルな」映画であること。
映画の前情報およびパンフレットなどでは、こうした情報が一切伝えられない。ウォン・カーウァイとかと似たニュアンスで売ろうとしてるからかもしれない。その割にはコンテクストが分からないと(まあおれも全部分かってる訳じゃありませんが)、理解できない部分が多すぎるので、観客も「?」って感じだった。この売り方は完全に間違ってると思うし、パンフレットに載ってる前東大学長他、勘違いばっかりのコメントも見物のひとつ。
いかにも中国の映画っぽい、「政治性」のありかが明確に読み取れる映画。好き嫌いがはっきり分かれるかもしれませんね。おれはなかなか楽しめました。ただすんごい暗い気分になります。はい。
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先週書いた、上海出身R君の「親類の友人」である料理人さんが、アチラの国有企業から独立して日本で開業した店。国道16号線から「大横町」交差点を曲がってすぐ。黄色字に黒の看板が目印。
http://www.geocities.jp/sayapie3838/mantonbou.html
おれの知る限り、日本で「中国の普通の食堂」に一番近い料理を出してくれる店かもしれん。「中華街」とか「紅虎」とか「老辺餃子」とかとは、「本場度」で比べ物にならない。そして値段は、それらの店のざっと半分から3分の1くらい。
豊富なメニューもコックの腕の確かさを示している。やっぱ湯麺類より、皿料理頼んだ方がいいだろうなあ。
だが残念ながら、立地がものすごい悪い(八王子駅から徒歩20分くらい)。おかげで全然流行っていない。ついでに店の作りは、「二年前まで『どさん子ラーメン』だった」ような場末感で一杯。マスターや奥さんの温かさと一生懸命さが救い。……なんだが二人ともあんまり日本語がうまくない。
味はかなりポイント高いが、その他の点でネックだらけで、かつネックがいちいちかなり根源的(笑)なのが「人生の機微」を感じさせる「満豚坊」。おれんちの近所にあったら毎日行くのになあ。八王子方面で宴会とか開くことがもしあったら「ぜひここにしましょう」。ご近所の方はぜひ一度どーぞ。
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